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片想いのしまい方-15-

この記事は以下から連続した内容になっています。
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優しい嘘(平成元年)

春から晩秋までの短いバイト期間は、あっという間に過ぎ去り、いよいよ私がバイト先を去らねばならない日がやってきてしまった。
最後の勤務日を私がどのように過ごしたのか、お店の皆にどんな挨拶をして店を辞したのか、その日どうやって帰ったのか、不思議なほど記憶にない。
多分、普段と同じように働いて、「お世話になりました。」と丁寧にあいさつをして帰ったのだろう。
私のことだからきっと、泣いてしまわないように必要以上に明るくふるまっていたのではないだろうか。

私が辞めるにあたって、八軒さんと松山さんが送別会をやってくれたのだが、それがバイトの最終日だったのか、それとも他の日だったのかという点についても記憶は定かでない。
ただ、3人揃っての送別会はシフトの都合上バイト上がりの深夜でないと無理だったため、ファミレスでご飯を食べるというような感じだったと記憶している。
お店までは八軒さんがバイクに乗せて連れて行ってくれた。
途中、信号待ちの時に八軒さんが振り返って私にこう言った。
「さっき、猫死んどったな。」
私は全然周りを見る余裕が無くて気付いていなかったのだが、どうやら道路で猫が轢かれて死んでしまっていたらしい。
大きな道路ではよくあることとはいえ、聞けば悲しい気持ちになってしまう。
「そうなんだ…猫、轢かれちゃってたんだ…」
私はぽつりとつぶやいた。

送別会を開いてくれた2人の気持ちはとても嬉しかったが、私は泣かないようにするだけでいっぱいいっぱいで、何を食べたのかも、どんな話をしたのかも全然覚えていない。
ただ、八軒さんが私にだけ聞こえるように「さっき猫死んどったって言ったけど、あれ見間違いやったわ。多分、ゴミが落ちてただけだ。」と言ったことだけは心に残っている。
あまりに唐突だったので、一瞬何を言われているのか理解できなかったが、すぐに信号待ちの時の会話のことを言っているのだと気が付いた。

ああ、この人はほんの一瞬だけ私の胸をよぎった悲しみに気付いてくれていたのか。
背中越しで、顔も見えなかったハズなのに。
そして、優しい嘘をついてくれたのか。
私が悲しまないように。

そのとき私は悟ってしまった。
私は生涯、この人のことを諦めることも、忘れることもできないだろうと。
たとえ、もう2度と会えないのだとしても。

店を出て駐車場に向かって歩いているとき、私ははしゃいだフリをして八軒さんの腕に自分の腕をそっと絡ませた。
八軒さんを見上げると驚いたような、困ったような顔をしていた。
私はなんだか彼をもっと困らせたくなって、彼の腕に抱きつくように両腕をギュッと絡ませた。

(今、すれ違う人全員が、私達のことを恋人同士だって思ってくれたらいいのに。)
そう思った。

駐車場までの短い道のりを、私は幸せな彼女を装って歩いた。
できる限りの笑顔で。
(ちょっとだけでもいいから、八軒さんが私のことを可愛いって思ってくれればいいのに。)
そう思った。

それが、彼と共に過ごした最後の記憶だった。

実際には帰りも八軒さんがアパートまで送ってくれたはずなのだが、その記憶は全くない。
そしてその日、八軒さんが私の部屋に寄って行ってくれたのかどうかもわからないし、最後にどんな会話をしたのかも全然覚えていない。
多分、あまりにも悲しすぎて記憶が飛んでしまったのだろう。

最後のバイバイを言う時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか?
彼にきちんと感謝の気持ちを伝えられたのだろうか?
上手にさよならを言えたのだろうか?
どんなに思い出そうとしても、本当に不思議なほどに何も思い出せないのだ。

泣かないで恋心よ 願いが叶うなら
涙の河を越えて すべてを忘れたい

木枯しに抱かれて
小泉今日子

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