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四季


今日、はく息の白いのを見ました。
🐕も外へ出ると少し震えています。



息子も🐕も落ち葉の上を
ガサガサしながら
走りまわるのが好きです🍂


たんぽぽが落ち葉から
顔を出していました。


わたげも


この日も寒くて、
たんぽぽを見つめながら
春を追いかけたくなる私

こういうとき
「四季の歌」を思い出してしまう。


春を愛する人は 心清き人
スミレの花のような 僕の友だち

夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような 僕の父親

秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような 僕の恋人

冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような 僕の母親

四季の歌/荒木とよひさ


根雪のゆっくりとけてゆく、
ーそこにいるときも
いなくなってからも


そのすべてをうけとめる
大地こそが母性であり
僕の母親、でしょうか。


あらためて歌詞をみつめると
たくさんの解釈ができそうです。


静かに雪をうけとめる大地。
寒くて冷たい日を
どれだけ重ねても
ただじっとそこにいること。


その先の春。



noteをはじめて3回目の冬が
やってこようとしています。

自分が何を書きたいのか
わからないまま始めたら


でてくる言葉は
過去の傷みばかりで


全然「今」に
焦点が合いませんでした。


そのまま続けていくと
過去から言葉が届くことも
変化していくことへの反発も
少しずつうすれていき


書きたいことが
「今」の私から
届くこともでてきました。



書くことも含め表現することの
大きな理由や意味、動機として


口に出せない感情を表に出す
というものがあったのだと思います。


けれど
それだけじゃなくなっていく。
軽やかでささやかで、自由になる。


表現というものへの
むきあい方やとらえ方が
もっとやわらかく、
柔軟になっていくような気がしています。


かたちに残したものが
対価になるだとか、
物質的なものでなくても
なにかをいただくとか、


外側からうけとるものだけでなく、
緩やかに歩いていったさきに
ふいに、いとも自然に現れた


豊かさを噛みしめて
うけとれたらと思います。


変化や自由のありがたさを
感じられる場所があるなんて
計り知れないですね。


ひょんな偶然や出逢いで
ここまで連れてきてもらった
いただいた豊かさを
大切に抱きとめ、

出来ることをひとつひとつ
ゆっくり、丁寧にしていく。


心をあたためるように、
12月を過ごしていきたいです。


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