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妊婦はつらいが夫もつらい。新常識から一歩進んで考えたい。

妊婦はつらいものです。ただ同時に、命を宿した喜びも忘れてはいけません。しかし、その夫も喜びと同時につらさを味わうのです。

今回は、昭和から平成にかけて変わってきた家庭の在り方。そして、妻の妊娠中の夫の心にフォーカスして記事を書いていきます。

そんな私は、妻が第一子をおなかに宿しています。そして、主夫見習いとして毎日仕事に、家事にと大忙しの日々を送っています。

日々の家事と仕事に疲れて、ネットでいろいろ妊娠中の体験談とかを読んでいると、なにやら夫の非協力にたいする物言いは、犯罪者を断罪するようだなぁ。と感じたのでこの記事を書こうと思い立ったわけです。

家事分担が当たり前の時代に

昭和の時代、女は家庭を守って、男は外にでて金を稼ぐ。という認識が一般的でしたよね。いまだに、こういう古い考えを持っている人は一定数いると思います。

しかし、最近では家事は夫婦で分担する。というのが常識になりつつありますよね。故に、家事をしない夫は、まるで犯罪者のような扱いをうけるということも少なくありません。

この平成からの常識が生まれた経緯を見てみると、共働き家庭が圧倒的に増えたから。というのが事実だと思います。

昭和中ごろ、バブルがはじけたことで景気が悪化し、夫の稼ぎだけでは家計を維持するのが難しい時代になってきました。そして、妻も働きに出て家計を支える。

ところが、妻が家事をするという風習はいつまでも抜けずに、根強く残っていました。それによって、共働きであるにもかかわらず妻だけが家事をしているのは不公平だ!と緩やかに、家事は分担しましょうという風潮が強くなっていったのだと思います。

ここの根底にあるのは、家庭を維持する行動の負担は公平にしましょう。ということだと思います。人間は不公平に敏感です。

たとえば、自分より圧倒的にすごいことをして圧倒的に稼いでいる人間よりも、自分と同じことをして少し高いお金をもらっている人間に憎しみを持つのです。

こうして、現在では女は家事、男は外で稼ぐという旧時代的な価値観よりも、共働きで家事は分担という風潮が優勢になっているということです。

私は、この風潮を批判したいわけではありません。むしろ、正しすぎるほどに正しいと思います。不公平は悪ですからね。

妊娠は何よりも重いものを24時間持ち続ける重労働

私は男ですので、妊娠のつらさはわかりません。個人差は大きみたいですが、微熱が続いたり、ずっと重い二日酔いのような症状で苦しむ方もいるみたいですね。

考えてみれば、妊娠というのは「命」という何よりも重い物を24時間ずっとその自分の中に抱えておくという、世界一の重労働だと思います。

だからこそ夫は、妊婦を支えるために家事全般を積極的にやってやるべきだという風潮があるのは当然です。

これは先ほど述べたように、公平性の観点から言っても妊婦がずっとの苦しみに耐えているならば、その苦しさを軽減する為に夫が少しでも家事をやって負担を公平にしてあげるというのは、正しすぎるほどに正しいと言えると思います。

正当性がありすぎるが故に吐けぬ弱音

妊婦さんがすごく辛い。それは分かります。そしてその負担を少しでも減らすために、夫が家事をやるのは当然のことです。

だからこそ、朝仕事に行く前にご飯を作り、洗濯をして仕事に行って、夜遅く帰ってきてからご飯を作って、掃除をしてと忙しい毎日になります。

でも、かわいいわが子をおなかで抱えている妻の大変さに比べれば大したことないかもしれません。

しかしここで、声を大にして言いたいのです。妻と比べれば大変ではありません。でも、つらいものはつらいのです。少しくらい弱音を吐いても、助けをもとめてもいいのではないでしょうか?

お前が作った子供だろうそのくらい我慢しろ」、「じゃぁ、おまえは妊娠してこどもをつくれるの?男のあなたにできない、すごいことをしているのだからそれくらいしたら?」と聞こえてきそうですね。

これらの主張は、正しすぎて反論すらできません。そして、結構こういう声って世間のなかであふれていたりしますよね。ネットをみてもテレビをみても。そう断言されていなくても、なんだか心の奥底ではそう思っているのでは?と。

もしくは、自分の中でそう暗示をかけられてしまって、強迫観念に駆られているのかもしれません。

だからこそ、今回は夫もつらい。弱音くらい許してくれと主張をしたいわけです。

正しさだけじゃなくて人の心に寄り添う社会

確かに、仕事+家事をすることくらい妊婦よりはつらくないのかもしれません。しかし、妻が妊娠する前よりは辛いのは確かです。

そんな本音を心の奥底にしまわずに、ちゃんと口に出してつらいものはつらいといいましょう

そして、正論で人の心を押さえつけるようなことをするのはやめにしませんか?正論は時として暴力にもなりえます。人の心を徐々に追い詰めてボロボロにしていくのです。

そして、妻に「赤ちゃん育ててくれてありがとうね、たいへんだけど頑張ろう」と声をかけて、たまに「ごめん仕事忙しくて、、体調いいときだけでいいから、部屋の掃除だけでもしてもらっていい?」と言えればいいと思うんです。

そして、妻に週一回でもいいので、「いつも、ありがとう」と言ってもらえさえすれば、また一週間頑張れる気がするのです。

社会がそんな優しい言葉であふれればいいと思うんです。なぜ、人は正論で人を言い負かして、優越感に浸りたくなるんでしょうね。理論は理論で、人間は人間の心に従って生きているのです。そんな平均化された言葉に、従って生きれるほど賢くはありません。

もっと、人の心を大事にする社会になるように願っています。

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