見出し画像

望月は陰る。雨に詠むさいごの歌。〈#新しいお月見〉

こちらは、月読(ツクヨミ)に願いを。雨おんなは歌を詠む。のペア作品です。

◇◇◇

望月の夜。冷気を帯びた秋の風が首筋をなでる。

月読(つくよみ)の 光りに来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに 〈遠い距離ではないのだから、月の光を頼りに来てください。〉

日付が変わった誰もいない公園で立ち尽くす。まさか今日、彼女がこの歌をおくってくるとは。

この歌の返答歌は、"断り"のひとつのみ。

これは、彼女なりの決別の報せではなく、わたしに決断を委ねた彼女らしい手立て。

凛とした白い木槿が目に留まり、彼女のたおやかな姿を思い出す。

✳︎

はじめて彼女に会ったのは2年前の春。"雨"の名を持つ彼女は、自分の名前を忌み嫌い、人との関わりを避けるように過ごしていた。

彼女は名の通り、よく雨を降らせていた。多くを語らない無表情な彼女。彼女は、いつも姿勢良く分厚い本を抱えて研究室に来ては、言葉の研究に浸っていた。彼女の佇まいはとても美しい。

どんな顔をして笑うのか。ふと気になり、ある日、わざと山積みになった本を倒して本に埋もれてみた。彼女はわずかに顔を伏せ、無垢な柔らかさを秘めるように微笑した。

その時、何十年ぶりかの想いに駆られた。

七夕の日、雨を嘆く彼女に、愛らしい"雨の歌"を詠んだ。彼女の目はみるみるうちに滴でいっぱいになり、それが白い頬をつたった。

触れてはいけない儚い佳麗さ。手を伸ばしそうになるのをひたすら堪えた。

わたしたちはこの日をきっかけに、数多の歌を詠みあった。歌を重ねるうちに、彼女は雨を呼ばなくなった。彼女の微笑が増える。

ふたりきりの時間は多くなかったが、それでも歌で寄り添い、歌でお互いを感じた。

わたしたちは、ふたりの関係を誰にでも分かるようなかたちにすること、言葉で契りを交わすことさえ、一度もしなかった。

ただただ歌を重ね、想いを重ねた。

✳︎

望月が陰る。わたしの本心を隠すように。雨になるかもしれない。こみ上げる苦さを何度も呑み込み、彼女に返答歌をおくる。

月読(つくよみ)の 光りは清く 照らせれど 惑(まと)へる心 思ひあへなくに 〈月の光は明るいけれど、わたしの心はそうではないのです。〉

彼女におくったのは本心ではない歌。だが、嘘でもない。純真な月の光を受け止められるほど、わたしはもう若くない。

それは言い訳に過ぎない。そう、わたしが彼女の若さに臆病になってしまっただけ。

いつか、翅をひろげ飛び立とうとする彼女に、みっともなく縋る日が来るだろう。わたしは共に飛び立つことはできない。それに耐えられないのだ。

彼女はわたしの迷い、その陰りに気付いていた。だからこそ、わたしにふたりの未来を委ねた。

そして、わたしは彼女の元を去ることを選んだ。

雨が降る。ダマスク・ローズの花束が濡れ、ふわりと甘い香りが漂う。

久方(ひさかた)の 天(あま)つみ空に 照る月(つき)の 失(う)せなむ日こそ 我(あ)が恋止(や)まめ  〈空に照る月がなくなる日があるのなら、そのときこそ私の恋心が無くなるでしょう〉

もう彼女に届くことのない歌。さいごに願う。

"喜雨。君は恵みの雨だよ。どうかどうか幸せに。お誕生日、おめでとう。"

望月は変わらずにそこにある。


◇◇◇

こちらは、万葉集の"月"を詠んだ歌から発想を飛ばした、月読(ツクヨミ)に願いを。雨おんなは歌を詠む。のペア作品です。

そして、渥美まいこさんの「#新しいお月見」の参加作品です。是非、他の方の作品も覗いてみてくださいね。