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書くトリガー。小論文を100回書いて大学入試に落ちたわたしの話。〈アドビ×つくるはたのしい〉

ふたつめのnoteをopenした今日。書くことが好きな自分のルーツを紐解いてみることにした。

時は二十数年前、高校時代に遡る。あぁどうか年齢を計算しないで読み進めてほしい。

あの頃は青いアイシャドウにルーズソックス、わたしもそれなりにギャルをしていた。正確には流行りはルーズソックスから紺ソックスへの移行時期。

PHSから携帯電話へ。画面がモノクロからカラーに、そして写真の機能が追加され始めたあの頃のこと。

当時、遊びと言えば、カラオケのフリータイム、お金があればプリクラ撮影と、それなりに若さを満喫していた。

制服が可愛いという理由だけで決めた、商業高校の生活は楽しかった。数学は赤点以外取ったことなかったけれど、国語や英語、簿記は良い先生に恵まれたおかげで、ほど良い成績をキープしていた。

進路をK大学に決めたのは、公立で推薦入試が可能で、そして福岡にあったから。四国のある程度の田舎で育ったわたしにとって、東京や大阪は都会すぎて及び腰だったけれど、福岡は手が届きそう、そんな都合の良い憧れを抱いていた。

わたしの"物書き魂"に火をつけたのは、その推薦入試の小論文だった。

小論文。それは問われていることに自分の意見と根拠を述べるという、知力や経験、説得力と書くセンスが問われる試験だ。

わたしはこの虜になった。

添削を担当してくれたのは、国語の先生。ちえ先生は、華奢で可愛らしいハムスターみたいな先生で、国語や漢文の授業がとてもわかりやすく、人気があった。

ちえ先生は、わたしが小論文を書いて持っていくと、次の日には赤字でひとこと添えて返してくれた。そのやりとりが交換日記のようで、くすぐったく、特別感があって嬉しかった。

過去問だけでなく、いろいろな小論文のネタを探しては書いた。大学合格のために書く練習を始めたのに、それはだんだんわたしを表現するための文章に変わっていった。

自分の中にある数えきれないものを言語化するために、小論文のお題がある、そんな感じだった。

もはや小論文ではなくなってしまった文章たち。先生は何度かもう一度同じお題で書いてみて、とアドバイスをくれたことがあった。

今思えば、先生はわたしの小論文は大学が求める内容になっていないことに気づいていたのかもしれない。

ある日、わたしから紡ぎ出された小論文という名のそれらしき文章は100を超えた。やった!!わたしは達成感でいっぱいだった。

職員室に100題目の小論文を持って行ったわたしを、ちえ先生は「おめでとう!」といつもの可愛い笑顔で褒めてくれた。

これだけ書いたから受かるだろう、と思って臨んだ入試。そう、タイトルに書いた通り不合格だった。今なら分かる。あれは小論文ではない。

"小論文を100題も書いたのに落ちた高校生"

あぁ何度読んでもなかなかのパワーフレーズだ。

落ちた日のことはよく覚えている。担任から職員室に呼ばれ、不合格を知らされた。あまりのショックに「早退します。」と言ったわたしに、担任は「ふざけるな。許さん。」と頑なに早退を許可してくれなかった。

その時、隣で、ちえ先生が今にも泣きそうな顔をしていたのをよく覚えている。

どうにか午後の授業をやり過ごし、重い重い足取りで帰宅したわたしを待っていたのは、合格すると信じてわたしの好物をたくさん準備していた母だった。

母はわたしの様子を見て、ひとこと「よくがんばったね。さぁ、ごはんにしよう。」と言ってくれた。

大好きな母の野菜たっぷりハンバーグ。この日だけは一切味がしなかった。涙を堪えることに必死でひとことも発さず夕食を終えた。

この日、わたしは大学に復讐を誓った。もちろん大学には何の否もないのだが、あの時のわたしは怒りに満ちていた。

K大学に絶対受かってやる。わたしは進路を変えることなく、一般入試に向けて勉強を始めた。

推薦入試不合格から数ヶ月後、わたしは宣言通りにK大学に合格した。見事、復讐を果たした。

合格を知った担任は笑って言った。「お前、すごいな。」わたしは担任にこう言った。「あの時、早退を許してくれなかったこと、恨んでます。」担任は「ばかたれ。」とわたしを小突いた。

そして、わたしの合格をちえ先生は可愛い泣き顔で喜んでくれた。そしてこんな提案をしてくれた。「あなたの書いた小論文、学校に寄贈してくれない?」

「後輩たちに見せたいの。こんなにがんばった先輩がいるって。この記録を塗り替える子は出てこないだろうけどね。」驚いたわたしを横目に、担任が「まぁでも落ちたけどな。」と笑いながら言った。わたしは担任をぺちっと叩いておいた。

そんなこんなで、わたしの書いた小論文らしきものたちはファイリングされて職員室に置かれることになった。

***

それから二十数年。わたしも大人になり、引越しを繰り返し、気づけば、あの担任やちえ先生と連絡を取らなくなっている。

あの小論文らしきものたち。今でもあの職員室にあるのだろうか。それとも、校舎の建て替えなどでどこかへ消えてしまったか。

いづれにせよ、わたしの手元にあの小論文らしきものたちが戻ることはないだろう。でも、それで良い。

100回の小論文を書いた高校生のわたしは、"文章を書く楽しさ"、そして、"誰かに読んでもらうことの喜び"を確かにわたしに残してくれた。

わたしは何かを綴るとき、小論文に嬉々として取り組んでいたあの時の自分を思い出す。

あぁ、つくるのはたのしい。

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