発酵するモノたち
我が家の秘宝殿と呼ばれる(呼んでない)大きな天袋を整理している。
押し入れ二間分の奥深い収納スペースで、ひたすら「思い出の品はここへ」と、突っ込むだけ突っ込んでおいた。
折に触れて、探すものがあるときだけ、少しは開けてみたりすることはあったけれど、奥の方まで発掘したことはなかった。ここに引っ越してから17年間。
それでも、いくらかは整理してあったので、私自身の子ども時代の写真アルバムや息子の思い出の品々は、それぞれ分けてまとめて収納袋に入れてあるものもあった。ただ、その袋も破れていたりはしたけれど。
結局、45リットルのゴミ袋2つ分くらいのものを処分した。
昔、まだ結婚する前に夫に編んであげたセーターは、さんざん着てもらい、でも洗濯するごとに編み目が詰まって、重く感じられて着心地が悪くなっていた。
自分用に余り糸で編んだカーディガンは、なんだか古臭い形に見えた。しかもこれもズシッと重い。昔の温かい衣類は重かった。
息子が保育園のお遊戯でつけていた、立体的な紙のお面。
洗いすぎて端が白くなってしまった、茶色のマルチカバー。
何かの時に使えそう!と思った箱。
紙焼き写真を整理しようと思って買った、ファイリング式のアルバム。
いらない、と言ったのにもらってしまった羽子板。
ちょっとしたいわくつきの、和服に合いそうなオーストリッチのハンドバッグ。
サイズ的にもう二度と袖を通すことはできない、私の成人式のスーツ。ヘチマ襟部分がビロードのクラシックなタキシード。
全部、その当時は、「捨てるに忍びない」と思ったモノたち。
だけど、十数年の時が経つうちに、それらのモノは発酵した。無機物なのに。
ほんとうは、モノが発酵したわけではない。多少のカビは生えたりはしていたけれど、使おうと思えば十分使えるモノたちだ。セーターでさえ、虫食い穴もなかった。
そのモノに対する私の気持ちがしっかり発酵してしまった。
よく熟したので、捨てることに躊躇はなくなった。
発掘したもの全てを捨てたわけじゃない。
亡き父の、メキシコ五輪のお土産の子ども服。
20代のころ、さんざん着て、袖口だけすれてしまったバーバリーのトレンチ。
息子が赤ちゃんのころに、私の母が縫ってくれた甚平。
まだほかにも、とっておこうと思うものはあった。
トップ画像は、そのメキシコ五輪のお土産のパーツ。
今見ても、ほんとうに色も鮮やかで、細かい刺繍も美しい。
私の記憶がまだない、1歳半のころ。1968年夏。
日刊スポーツの「特派員」として、メキシコ五輪の取材に行った父。そのお土産。
という思い出があるからだけでなく、シンプルに愛おしいデザインなので、私の思いはまだ当分発酵しそうにない。
天袋の空いたスペースには、夫の仕事の古いネガフィルムやポジフィルムが入ることになる。
こうして、うまく発酵した順に、これから発酵していくモノたちへと、場所を明け渡してもらう。こんな作業を私は一生繰り返しながら、きっといつか私自身も発酵していくんだろうな、と思う。
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