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こどもとうみ「一人ひとりが持つ『子ども辞書』その中身は?」

 子どもへの言葉かけ。たくさんの溢れる知らなかった言葉を浴びて、子どもたちはその言葉の「意味」をその後の出来事と照らし合わせて身体に染み込ませていく。

 子どもたちの頭の中にある「子ども辞書」によると、こんな風に書いてあるのではないか?
全ては著者の経験によるものである。良くも悪くも・・・・

犬(その辺の大人とのやりとりで学んだことによる)
 

 =ワンワンと呼ばれている
 =イヌと呼ぶ人もいる
 =四つ足の動物
 =人間がよくヒモで繋いで散歩をさせている動物を指す
 =オスワリという言葉を人間がいうと座ったりする
 =オテというと手ではないが、4本の足のうちの1本を人間の手に乗せたりする
 =この動物には人間のように名前がついていることが多い
 =ガウガウ、ウ”〜、アウォン〜 何言っているか分からんけど、声を出す
 =触るとモフモフしているのも、毛が思ったより硬いのもいる

 

待っててね(よくその言葉を使う人間の行動による)
 

 =今はダメということらしい
 =今ではないが、いつかこっちを向くらしい
 =いつまで経っても向かないこともある
 =断られていることらしい=ごめんなさいという意味と同じかもしれない
 =邪魔ということらしい
 =このまま動いては行けないらしい
 =忘れた頃にこっちを向いてそのことに向き合うことがあることらしい

 どんな風に書かれるのかは、出会った大人次第。

 
 だから、子どもたちに向けて使う言葉をよくよく考えて使いたいと常日頃から思っている。それはただただ馬鹿丁寧な言葉を使うようにすることではないと思う。私は乱暴な言葉も使うし、いわゆる女らしくない言葉も使う。そんなお前が言うな!と言うお叱りも受けるかもしれないが、ここは教育者として敢えて譲れないところだけお伝えしたい。

 子どもたちの頭の中にある「子ども辞書」になるべく正しく意味が記載されるようにという思いだけは持っているつもり。 

 なんでも「やばい」で表現する人が発する意味は理解出来ることもあるが、敢えて、それを真似る子どもたちには、「それどういう意味なの〜?」と聞くようにしている。喜びも、悲しみも、驚きも、悔しさも、美味しいも、不味いも、全部「やばい」で済んでしまうのだから、とても便利でもある(?)

 お茶が飲みたい時に「お茶」と言われても、Telacoyaではお茶も水も出て来ない。「お茶くださーい!」「お茶ちょうだい!」「はいよ!」である。

 私たち大人でも、堪能でない日本語以外の言葉で伝えるときは、きっとこんなふうになっているんだろうな〜と思う。誰かの言葉を真似するし、単語だけで繋げて伝えようとする。子どもたちの言葉の習得もまさに周りの大人の言葉からである。

 改めて気をつけていこう!
(余談:youという単語の日本語訳を誰に教わったのか、「あんた」「お前」「きさま」と発音する海外の方を見たことがある。これもある意味同じかな 笑)

 

 
 

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