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こどもとうみ「行事」は誰のためにあるの?

 自分との戦いが始まってから、主語取り合戦!
今の子どもたちへの声かけは「私が」だったのではないか?「子どもが」に本当になっていたのか?を毎度問いかける。何度も何度も「私が」だったことでガッカリしながら。。。。

 園との戦いは行事について考え直したい!ということ。いつしか親のための行事になっていて、もちろん先生たちは子どもたちが楽しんで取り組めるように最大限の努力はするものの、その行事での子どもたちの様子が担任の評価に繋がるという発表の場。「ちゃんと」「やらせたい」と先生が思うのは、何故なのか?「私が」評価されるから。

 一体行事は誰のためのものなのか?

 若造の私であったが、一生懸命これを伝えて、園長、先輩方が話し合いの場を作ってくれた。

 学年で一斉の製作活動など一部はみんなで話し合い、一斉じゃなくても良い形に変えていくことは出来たが、運動会、発表会についてはなかなか難しかった。 

 そこである年、私のクラスは全てを取り払い、子どもたちがストーリーを考えて、必要なものも全て子どもたちが話し合って決めて、発表会に向かってみた。1990年代半ばの20代後半の私の挑戦。当時はまだまだ一斉保育が主流だった頃。
 1クラスの持ち時間は15分なのに、私のクラスだけ25分の超大作!子どもたちの作った話は結構おもしろくて、今まで華美な装飾をせっせと先生が夜なべして作っていたが、全部子どもたちに作ってもらったら、ボロボロだけど子どもたちはとても大切に扱っていた。25分の超大作なのに、大人の私は何も指示を出さない。必要がない。間違えたら子どもたち同士でカバーしあっている。だって、全部自分達の頭にあるものだから。

 終わって子どもたちの満足そうな顔!誇り高い顔!子どもたちが私にくれたその学びは子どもたちからしかもらえない。お金では買えない。とても尊いものだった。

 これじゃん!!と思えた。

 が!!!!
他のクラスの保護者から苦情が出た。「あのクラスだけ長過ぎた。ずるい」「話の起承転結が分かりづらいかった」などなど。
園長はそれに対して、「確かに長過ぎた。分かりづらかった。でも、子どもたちが主体になるということは、あのようなことだと思います。」と答えてくれた。

 園長先生やるじゃん!この人の下で働いて良かった〜と心から思えた瞬間だった!

 次の年は、子どもたちと話し合って、時間のことも意識していくようになった。こうして年を重ねていくうちに、私の「私が」主語の「やらせ感」はすっかりと消えて、子どもたちのやりたいことをサポートしていく立ち位置に変わっていった。ムキになって自分に問いかけなくても、主語はいつも「子どもたち」に変化してしまった。その中で、一人の人間として「私の意見」も言えるようになり、子どもたちから却下されることも多くなった。しめしめである。

 しかし、この「子どもたち」を主語にして考えれば考えるほど、悩みは深まっていった。もっともっと小さい園で、もっともっと一人ひとりとガッツリ向かい合って保育がしてみたいと思うようになっていったのだ。

 今でも何人がベストなのか?分からない。
どちらにもメリットデメリットがあると考える。

 1学年150人だった最初の幼稚園では、同じクラスにならなければ友だちにならない学校のような人数だった。
 人数の多いメリットは?
友だちを選ぶことが出来る。自分と合わない人がいても、合う人と出会うチャンスは多い。大勢で力を合わせた時に出来ることが大きい。
 人数が多いデメリットは?
自分一人の力やアイデアが発揮しづらい。大人から見えづらい。長いものに巻かれやすい環境である。

 人数が少ないメリットデメリットはこの逆である。
では、何人がベストなのか?答えは今もわからないままである。

 こうして30代半ばになって行った私は、その間に実は子どもが欲しくても出来ないということが判明し、不妊治療に取り組んでいた。明るい不妊治療を目指して(笑)職場でも園児が帰った後に急いで病院に行って治療して職場に戻らせてもらうということをお願いして、実行させてもらっていた。

 それでもなかなか授からない。年間100日海に入ることを目標にしよう〜などとほざき続けていた私に、不妊治療の先生から海に入って身体を冷やし過ぎているから悪いなどと言われた。それなら、、、と、海に入るのをやめてみたが一向に状況は変わらなかった。
 私らしく生きることを止めてでも、この治療を続けていくべきなのか?私らしく生きるなんて、私のワガママなのではないか?子どもを持てないで、母親にもならないまま、親の気持ちも分からないのに、この仕事を続けていて良いのだろうか?などの思いがグルグル回り始めて行った。

 

 

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