【大阪→長野】転勤族、人生なにがあるかわからないよねの話
私は関西出身で、人生のほとんどを関西で生きてきました。夫も同じく関西出身、関西育ち。そんな我々夫婦が去年の夏から夫の勤務先の異動で長野県に暮らすことになりました。関西育ちの夫婦ふたりが長野に引っ越してくるのは、相当な覚悟と勢いが必要でした。
去年の5月の頭に仕事で早く帰ってきた夫が暗い顔をして「かおり、長野に異動になったわ…」と言ってきました。私はすぐに「いやや。行きたくない。」と駄々を捏ねました。本当の本当に行きたくなかったのです。
当初、夫も長野への異動は乗り気ではありませんでした。縁もゆかりもない土地だし、友人もいなければ行ったこともない土地になぜ行かなくちゃいけないんだ。というか、そんな無茶な異動を強制するような会社なんか辞めちまえ。そんな会社ろくでもない。きっとこの先も無理難題を言ってきて我々の暮らしなんか考えてもくれないだろう。辞めろ辞めろ。とそんな感じの言葉を毎日夫にぶつけていました。
私の家族や友人も気の毒だと、私の意見に賛同してくれました。
夫も関西から出ることは本望ではないけれど、この仕事は続けていきたいから…(もう納得するしかないんだよな…むにゃむにゃ)
でも私は一方的な「辞めちまえ、辞めちまえ」コール。
そしてむにゃむにゃ言っているうちに6月に入り、もう異動の話を断ることができなくなっていました。その頃に長野に住む家を見つけに行く内覧日を言い渡されます。すでに私が泣こうが喚こうが行くことになっていたのです。(夫のほうが一枚上手だった)
ちなみに事前に友人から「単身赴任して貰えば?」と言われていたのですが、私は結婚をするときに夫と二人で生きることを決意していたので、そもそも単身赴任のことは考えていませんでした。
全然乗り気じゃないまま長野に下見に行きます。東海道新幹線で新大阪から東京に行き、北陸新幹線に乗り換え長野に降りました。片道約6時間以上かけて…
関西人が東に行くのは東京に行く時だけと言っても過言じゃないのです。だから東京から乗り換えをするというだけでどっと疲れました。
そんな6時間かけて長野に降りてすぐの感想が、
「山でか!」(3000メートル級の山がよく見えます)
「人少な!」(平日の昼間はほぼ人いません)
「涼し!」(標高700メートル越なので気温が全然違います)
「空、広!」(高い建物がないので広く感じます)
それは大阪や関西では味わったことのない風景で驚きました。
そして歩いて賃貸会社に行くまでの、わずか10分くらいで長野のことを好きになっていたのです。「ここで住むのもいいかもなぁ」と。
私たち夫婦(特に私)は単純なのです。
物件もスムーズに決まり翌月7月から長野での生活が始まりました。そしてもうすぐ長野に来て一年が経ちます。
あれから長野のことを知り、一年前よりも長野のことが大好きになりました。あれだけイヤイヤ言ってましたが、長野には来た人を魅了する何かがあるんだと思います。(山の神様とかトトロ的な何かがあるんだと思っています)
魅了されているのは初めて来た時に感じた自然が豊富なところ、何より県民性というか長野の人が好きなのかもしれません。
「あれだけイヤやったのに、意外と長野生活も悪くないなぁ。」
「蕎麦美味しいなぁ。」
「涼しくて過ごしやすいなぁ。」
「優しい人多いなぁ。」
出会う人みんなが優しくて、大きなトラブルもなく平和に時間が流れています。
急かされることも、歩いてるだけなのにクラクションを流されることも、絡まれることもありません。立ちションをしているおっちゃんも、昼間から缶チューハイを飲んでるおばちゃんもいません。
でもたまに大阪の人懐っこさや友人たちを思い出して、大阪が恋しくなったりします。
当たり前のことですが、どうやら人生とは本当に何があるのか分からないようです。私の話で言うと、関西で生活することが当たり前だと思っていました。また、長野に来るなんて微塵も思っていませんでした。きっと今まで通り友人や家族との時間を楽しんだり、知り合いも増やして仕事もしていくと思ってた。
でもふと、人生って自分でコントロールできることなんて大したことないよなぁと、気づいたのです。
もし仮に私の説得で夫が会社を辞めたとしたら、関西に残って楽しかったかもしれないけど、私が想像できていた範囲内での人生になっていたはずです。自分の想像の範囲内(関西に住んで生きること)での何かが起こり、範囲内の結果(家族や友人と楽しく過ごすこと)だったはず。
それもそれで楽しかっただろうけど、それよりも私は想像できない人生の方が好きかもしれない。楽しみは事前にわかっていたら安心して前に進んでいけるけど、でも案外楽しくなさそうな選択も乗ってみたらもっともっと楽しいかもしれない。
今までは「自分の人生は自分で決めるんや!」「こんなふうに年を重ねたい!」と鼻息荒く生きてきましたが、長野に来たことで「抗えないことには大人しく身を任せるのもアリやな」と思えました。
これぞ主導権を自分から、分からない誰かに預ける究極の受け身スタイル!でもそれは決して主導権の放棄ではなく、自分の人生は必ず良くなるからどんな状況も楽しみまっせ!という積極的な受け身なのです。
「自分で決められることはただそれだけのこと」「大きな力で抗えない時や、パッと見ただけじゃ楽しいか分からないことも案外楽しめるかもしれない」どしんと構えて「やったるでぇ!」と全てを受け入れる覚悟を決めること。そんな選択もいいじゃないの、悪くないんじゃないのと思えたわけです。
きっとこの気づきはこれからの人生をもっともっと楽しく生きていける知恵なんやろうなぁ。…知らんけど。
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