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転勤族の宿命「もう、そろそろかも」

来月で長野に来て2年になります。
関西出身の私たち夫婦は、2年前の今頃に初めて長野の物件を見に来ました。
そこで縁もゆかりもなかった長野を好きになり今に至ります。

幸い職場や住環境、人間関係にも恵まれとても有意義な長野ライフを送っています。
私たちはこの2年間で長野を大好きになりました。


先月あたりから夫の上司より「もうそろそろ…」と転勤の話を匂わされています。
と言われても、サラリーマンである夫に拒否権はありません。

「奥さんに年内中にあるかもしれないと伝えてほしい、って言われた」
帰ってくるなり、夫からそう告げられました。
夫の上司は関西の時からの付き合いで、夫をよく思ってくれてる人です。
関西に帰りたい旨は伝えているようで、きっと夫のためを思って言ってくれているんだと思います。

「…いややなぁ」
正直な気持ちを伝えます。
やっと長野の暮らしに慣れてきたのに。
神戸に帰ることは望んでいるはずなのに、なぜかとてもいやなのです。

この感覚は、長野の転勤が決まった時と同じです。
「ごめん、長野に転勤になったわ」
「…いややなぁ」
この時のいやな気持ちは今の数百倍ありましたが。


高校時代の友人が地元でマンションを買ったそうです。
そこは私も夫も知っている場所です。
「○○にマンション買ったらしいで」
「へぇそうなんや」
友人には子供が二人おり、新卒から働いている地元の会社に勤めています。

友人の実家も近所にあり、幼少期からずっと同じ町に住んでいる友人。
大学も近くに行っていたのでずっと実家暮らしで、恐らく一度も神戸から出たことがありません。
そして地元でマンションを買い、今後の人生も地元から出る予定が今のところない友人。

「それってつまり、一生あそこのスーパーに行くってことやんな…」

想像しただけで軽く絶望した気持ちになった私たち。
「窮屈やな…」
自分の人生に置き換えると、全然楽しくありません。


他人の人生に何か言いたいわけではありません。
実家の近くで孫の顔を見せながら、地元で暮らすことは割とスタンダードな生き方で素晴らしいと思っています。
多分、世間で言うところの常識的で幸せな人生プランだと思います。

そしてご多分にももれず、私たち夫婦もいずれは地元の神戸に帰りたいと思っています。
「両親、友人たちともっと会いたい」
でもそれは、”いつか”であって”今ではない”のです。



地元の友人たちに関西の異動があるかもしれないことを伝えました。
友人たちは皆喜んでくれています。
「かおりがおるうちに長野旅行しないと!」
「戻ってきたらいっぱいご飯行こうな!」
10-20代の思い出は彼女たちがほとんどで、私も会えるのがとても楽しみです。
でも、素直に喜べず複雑でした。

長野の友人にも伝えました。

「寂しいねぇ」
私たちは人生の友と呼んでもいいぐらい、色々なことを共有してきました。
そして一緒にいろんな学びをしました。
彼女との縁は切れることはないけど、今までのように気軽に会うことは減るでしょう。

「でもさぁ、かおりさん長野でまだまだしないといけないこといっぱいあるだろうから、まだ関西に帰らないんじゃない?」
だから長野にいる間、いっぱい出かけようね。
いっぱい思い出を作ろう。


きっと私は、その言葉を言って欲しかったんだとわかりました。
長野との縁を切りたくないんだと思います。
そしてまだまだ長野で学ぶべきことがたくさんあるのも事実です。
それはnoteを書くたびに確信になっています。

つい先日も異動の話を匂わされたそうです。
「長野と神戸を半分ずつ兼任になったらいいのにな」
「夏の間、私だけ長野に戻ってこようかな」
いろんなプランを考え中です。


大袈裟ですが、私はどんな運命も受け入れるつもりでいます。
それは長野にいようが、神戸に戻ることになっても変わりません。
その時のベストな選択が私の人生に用意されていると思っているからです。
きっと運命を共にする夫の存在があるのも大きいです。

運命を抗えない何か大きな存在があるとすれば、私はそれに従うのみです。
それに適応する体力・精神力をフル活用させ順応しようと思っています。
それができる人間だと自負しているからです。
同時に、どこに住んでもこのnoteは続けていこうと決意しました。

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