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「ルール」と「目的」のはなし。

カフェとかで


お席は90分まで
とかの「ルール」があったりすることありますよね。

その「目的」は
「500円のコーヒー1杯で3時間もいられたら
 次のお客様が座れなくて、500円の機会損失やねん」
って話だと思うんです。

では

質問です。

コーヒーもランチも頼んでくれた人が
デザートも頼んでくれて!(やっほい!)
その途中、あと少しで90分だなーってときに
「デザート残ってるからコーヒーを追加で買いたい」
って言ってきたらどうしますか?

「お席は90分まで」という「ルール」に従うならば
追加のコーヒーなんてお断りです!
だって90分過ぎちゃうんだもの。

でも?

「500円の機会損失」を作らないように、という
本来の「目的」に従うなら?
ぜひともおかわりしてください!ですよね。
むしろ客単価が高い有料顧客ですもの。

じゃ

500円コーヒー頼んだ人が
500円コーヒー追加の場合は?

500円コーヒー頼んだ人が
200円のクッキー追加の場合は?

それらのあらゆるパターンまでを
「ルール」にしだすと

「お席は90分まで。
 ただし追加で500円以上のご注文があれば延長OK」
みたいな「ただしの分岐」がおきてしまって、
判断する店員の生産性がおちていく。

わたしは90分で追い出されたのに
あの人はまだ席でコーヒー飲んでる!
っていう不公平感も生じるから「ルール」を明記しはじめる。

だからこそ

「法定速度は時速80キロ」の「ルール」は
明確でわかりやすく、ただしの分岐もないし、しっかり明記されている。

1キロでもオーバーしたらアウト。
一切の「ルール」違反(ただしの分岐)は認められない。

「いや、人っ子一人道路にいなかったんよ?!」も
「たった1キロだよ?!」も
「子どもがトイレ漏らしそうだったの!!!」も
受け入れてもらえることはなくて

「目的」である「みんなが安全・安心」が守られたからいいじゃん!
が受け入れられることは一切ない!ぴえん!

しかしだね?

わたしは(あくまでわたしは)
「ルール」を作りたくないんですよ。
明記なんてしたくないんですよ。
「目的」だけを共有して共感したいんですよ。

「目的」を達成するためには、いま、このお客様はどうすべきか?
をいつもいつも考えてみんなで行動したいんですよ。

それがわたしの中の正義であって
その思考と都度の判断が
わたしの存在価値だとさえ思ってるんです。

いや、わかってるんですよ。

法定速度がそうなっているのは
ルールを守るべき対象人数がめちゃくちゃ多い&命に関わるから。

カフェのルールが曖昧なのは
ルールを守るべき対象人数が限られている&日常のささいな時間だから。

わかってるんですよ。頭では。
会社が大きくなってるから仕方がない。
対応する件数が増えてきたんだから仕方がない。
法定速度側の「ルール」によっていくのはわかってるんです。

それでも、わたしは自分の存在価値を信じたくて
いま毎日悩んでいるのです。

ふつふつふつ。

悩む。
考える。

ぎゃ!!!!!!!!!!!!
悩みまくってたらケーキもお菓子も全部食べてた!🐖!
無意識に!こわ!!!こわすぎ!
ケーキ食べちゃだめ!禁止!今日からルール!ルールルール!!!!w







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