陰キャが陽キャになった話 —修士論文で頭のネジが抜けた東大生がまんがタイムきららを読んで—

 本記事は、東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2023の12日目の記事です。

 昨日11日目の担当はれんずさんの予定でした(更新されたらリンク記載します)。
 翌日13日目はエクトぷらずまさん(@Ecto__PLASMA) による『スロウスタート』の教室が舞台の推理パズルです。
 ぜひチャレンジしてください!
(私もセリフで少しばかり手伝わせていただきました。)


それでは以下本文です。





 私は陰キャだった。友達もいたのかいなかったのか分からないので、ぼっちちゃんの方がギターが弾ける分、人生楽だったんじゃないかと思うこともしばしばである。友達に乏しかったので、大学初年度のガイダンスから卒論提出までもう必死だった。
 そんな私がいつの間にか陽キャになっていた経緯について書いてみようと思う。
(陽キャという自覚は正直ない。が、周りにそう言われたのと、初対面の人を週末の遠足に招待したり、その遠足に十人超の参加者を集めてたり、知らない人にもすぐに頼れるようになってきたので、まあ陽キャでいいのではないかと思う。←この長文は陰キャでは……?)


シャロさん:『ごちうさ』との再会

 2020年3月。放送中の『恋する小惑星』は何度観返したことだろう。
 パンデミックが始まり大学も閉鎖。多くの人が家に押し込められていた。市井には「会いたい」という感情と様々な不安が溢れている。
 私は友達付き合いが少なかったので自粛生活になっても休日面の変化は小さかったかもしれない。しかし交友関係とは言わずとも人付き合いはあったし、人と会えないストレスも感じた。
「広い部屋に住んでる有名人が自粛を唱えてもなぁ」などと陰キャ思考を極めていたが、3月19日に天啓が下った。

「『ごちうさ』3期やるの?!」

未知の感染症によって放送時期に影響が出たアニメもある中、10月放送開始と少し気がかりなスケジュール。それに感染症の流行が拡大すれば、アニメが無事に放送されても自分が無事かは分からない(修士論文という試練もある……)。
 とはいえ陰キャ。思考は一人走りしがちである。

「勝った……!」

何にどうすれば勝ちなのかは分からないが、修論が佳境を迎える10-12月に『ごちうさ』3期が放送されるのだから、私は勝ったのである。

 夏休みは先行研究を読みつつ、『ごちうさ』祭りで1期2期OVAが連日配信。懐かしい。シャロさま輝いてる。
(2期11話12話は2015年放送当時鬱過ぎて観てなかったし、OVAは人生必死で存在も知らなかった)

 10-11月。『BLOOM』の放送がついに始まった。夢みたいで現実味がない。毎週神回である。
 そして修論の締め切りまで残り2カ月。無理ゲー過ぎて現実味がない。
 間に合うとは信じられなかった。しかし私は「ポイッ」とはしなかった。毎朝『ごちうさ』2期のOPを観て「ポイッて今日も投げ出さない」と約束してから修論に取り組むようにした。

 シャロさんを見ろ。怠けてる場合じゃない。流石に2期OPだけでは飽き始めたので、キャラクター別『BLOOM』予告PVも観た。シャロさんPVは100回以上再生したはずである。

 締め切り前日の夜も、未着手の全体要旨を書き始める前に2期のOPを観た。
 指導教員のメールや臨時開室した研究室に現れた先輩に助けられて心身ボロボロで提出。
 提出後に放送された『BLOOM』のクリスマス回と新年回とは、こちらも心晴れやかだったので神回続きであった。

 頭のネジが5,6本抜けた気がするが、感染症による異常事態の中でも『ごちうさ』のおかげでなんとか学位を得ることができた。
 『ごちうさ』の製作に携わった皆様、ありがとうございました。

 さて、ここで頭のネジが抜けたことは、陰キャが陽キャになった最初の玉突きだったような気がする。

栄依子さんとカレンさん:『スロスタ』との出会いと『きんモザ』との別れ

 『スロウスタート』はアニメでは知っていたが、原作を読んだのは2021年初旬だった。
 単行本を手に取ったきっかけは、むかし恩師に自作の小説を見せた時「女の子同士の会話が下手ですね」と言われたのを思い出したことである。そこで会話文について研究しようと思ったが、最近の小説を読むのが面倒臭かった。
(一応弁解しておくと「自作の小説」の「女の子」は「女の子」というか「市民」から逸脱しているように書いたので、そう言われてもまあそうだという話である。ただ恩師の言葉だったので引っ掛かっていたのと、やはり陰キャなので会話の経験不足や下手さを自負していたのである。ちなみに宣伝自粛ということで題名は伏せますが、その小説は当時の文面のままAsama名義で公開されてます。)

 高校受験で浪人という聖痕を問題にした『スロスタ』を読み、また同時期『ステラのまほう』の百武照先輩の心の問題が話題になっていたこともあり、きらら作品には『ごちうさ』『きんモザ』のようにキラキラした作品ばかりではないこと、きらら様式のアートも人間の心の暗部を描けるのだということを知った。これは21世紀の芸術なのだと思いつつ、感染症はまだまだ勢いを強め、私はといえばネットワーク科学の本を読んで自作の小説に取り入れていた。

 デルタ株もピークという頃に『きんモザ』の集大成とも言うべき劇場版『きんいろモザイクThank you!!』が公開。私はビビって数週間後に観に行った。
 1期を観た高校生の時は、まさか東京大学で『きんモザ』を語らう日が来るとは夢想だにもしていなかったが、とにかく2回観に行った。思えば高校から修士課程まで陰鬱な日々であったが、その間にキラキラと輝き続けていた長期コンテンツに一区切り着き、劇場で観たEDを思い出しては惜別の念に耽ったものである。

 さて『きんモザ』のカレンさん『スロスタ』の栄依子さん。
 圧倒的コミュ力と交友範囲。もはや現実離れしている、いや漫画なんだからいいじゃない。
 そうは思いつつ、ネットワーク科学を勉強して自作の物語に取り入れようとしていた私は、ネジの外れた頭でバカなことを考えていた。

 カレンさん栄依子さんのような存在はどこまでリアリティを持ち得るか? 東大生が人脈に全振りしたら、圧倒的陽キャも不可能ではないのではないか?
 このことを文学の中で試すべく、私は陽キャの言動と生活、人間関係について考え始めた。

喜多ちゃんさん:『ぼざろ』とのすれ違い

 私は一応『けいおん!』の方が世代としては近い。あえて書いたのは、2022年にアニメ化した『ぼっち・ざ・ろっく!』にそこまで入り込めなかったからだ。勿論楽しんだ。しかし『ごちうさ』『きんモザ』ほどの熱量ではなかった。すでに博士課程という大学社会の高齢者の部類に入り始めていた私は、世代の感性というものを意識させられたものである。

 それはそれとして『ぼっち・ざ・ろっく!』ほど陰キャ/陽キャの対比が強いきらら作品もない。まだかろうじて陰キャを名乗れた私はぼっちちゃん寄りの人間であった。
 しかし一方で、喜多ちゃんのメンタリティも分かり始めていたのである。前節の続きになるが、この頃の私は圧倒的陽キャのリアリティをアホみたいに熟慮していたので、多少とも陽キャのマインドセットを体験し始めていた。
(それの詳細についてはいつの日か「陰キャが陽キャになる方法」という文章にでも書くかもしれない)

 それはそうと『ぼっち・ざ・ろっく!』放送終了後に原作も読んでいると、喜多ちゃんさんも隈なくキラキラしているわけではないことが分かった。例えばSNS依存症という闇が指摘されたりしている。
 その頃には私も陽キャになり始めていた(?)ので、SNS依存も含めて、寧ろ喜多ちゃんさんに共感するようになっていった。私がコロナ禍にSNSに費やした時間は計り知れない。
(とはいえコロナ禍は見る・読むばかりで発信はしていなかった。SNSの発信の方で喜多ちゃんさんに共感するようになったのは2023年のことである)

陰キャが陽キャになっていた

 そんなこんなで私は『きんモザ』カレンさん、『スロスタ』栄依子さん、『ぼざろ』の喜多ちゃんさんについて考えている内に、陽キャになっていったようである。昔は人見知りだったが、最近は人見知りの壁を爆撃しないように注意して生きている(だいぶ誇張した)。

 このような記事なので、一応は個人的な陽キャ心得ライフハックを書き残そうと思う。
 説教臭いし消そうと思ったが、陽キャになりたいきららファンの一助になる可能性もあるかもしれないので残しておくことにした。興味がない人は「まとめ」に飛んでください。
(今更ながら一応断っておくが、筆者は陰キャがネガティブなものだとは思っていない。あくまで陰キャから変わりたいという人がいればという話である。ネガティブな印象というのは、何か短所が想定されて生じるものだと思うが、短所は長所の裏返しに過ぎないし、長所短所という考え方も能力主義的な社会観の側面が濃い。個人的には多少陰キャなくらいの方が慎重さも有って、今の御時世には適応し易いのではないかと思う)

1)全員ではないが性善説は初対面なら通じる+どんな人間も結局は人間である

2)ダメ元で声を掛ける

3)勉強してまんがタイムきららも精読すべし

1)全員ではないが性善説は初対面なら通じる+どんな人間も結局は人間である
 
こればかりは自分が東京大学という異常な特殊な社会にいた特典で知れた感はあるが、どんなに眩しい相手も結局は人間なので、親切にしたりされたりというのは本能レベルでは嫌ではないのである。
 そういう意味での性善説はだいたい通用する。ほとんどの人は世間話くらい応えてくれる。しかし深く付き合えば嫌な側面も見えてくることもある。あくまで初対面の相手との距離感に相応しい範囲で、性善説は有効だろうということである。距離感を測り誤った場合は有効ではない。
 「距離感に相応しい」言動が分からないですって? それは「まんがタイムきらら」のキャラクターたちが教えてくれるのではないでしょうか。

2)ダメ元で声を掛ける
 
コンテンツとフォロワーが溢れかえっているこの御時世、見ず知らずの相手のことなんて気にしてる人はいない。自分のことを振り返ってみて欲しい。情報が多すぎて、不安になるほど物忘れが増えてはいないだろうか。
 そんなわけなので会話で失敗しても誰も覚えてない、その人がダメでも他の人がいると思えば声を掛けるハードルが下がる。
(一人一人に誠実に接するなら、「片っ端から声を掛けるのはパリピではないか」ということにはならないはずなので安心して欲しい)

3)勉強してまんがタイムきららも精読すべし
 
コミュ力をどう上げるのが正解かは分からない。ただ相手の言葉を全く理解できないと言葉を返せない。だから色々と勉強すると言葉も知識も自信も増えるのでコミュニケーション能力は上がる。勉強するほど自分の無知が自覚できる(とは限らないかもしれないが、謙虚こそ陽キャの基本なので、無知だと思おう)。そうすれば分からないことも分からないと言えるので会話は続くのである。

「しかし会話のネタが増えても方法は分からない。陰キャなので経験は乏しいし、新たに積むのも難しい。」

……そこで私達の教科書(教典?)、まんがタイムきららである。
 快い会話の手本はきらら作品に沢山ある。面白いボケも書き溜めて、使う機会を伺っていこう。
 あくまで個人的な偏見だが、同年代との付き合いに使えそうなネタの宝庫は『まちカドまぞく』である。ネットにネタ帳が転がっているくらいだ。
 上下差のある付き合いに活かせそうなのは……考えたことはありませんが『NEW GAME!』でしょうか?
(ひふみ先輩の1巻から最終巻までの変化こそ、「脱陰キャプロセス」の本当の理想形なのかもしれません)

まとめ

 きらら作品は陽キャになるのに役に立つ。

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