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この景色が消えないように

二十数年も同じ街で暮らしていると、あちらこちらが変わってゆく。

映画館やジムが入ったショッピングセンター、駅前のロータリー、ガラス張りのバスターミナル。こどもの頃には無かった小綺麗な施設に、街の景色はいつの間にか上書きされている。この街には似合わないと思っていたショッピングセンターは今やなくてはならないものになって、ここでなければどこで買い物をしていたのか、もう思い出すことができない。生まれたときから、確かに私はここに暮らしていたはずなのに。



「ここ、昔は竹林だったんだ」

車で買い物へと向かう途中、運転席の父がびかびかと光るパチンコ屋の看板を見上げて呟いた。同じ建物の中にボーリング場やゲームセンターもあって、毎年町内会のボーリング大会の会場にもなっていたなじみ深い場所。入り口前の広場には小さな噴水があるのだけれど、水が入れられているのはもうしばらく見たことがなかった。

赤信号で停車している間、じっと建物を見上げる父。ふと、「いま、父と私が見ているのは違う景色なんだろうな」と思った。

ここにパチンコ屋がある景色しか知らない私と、まだここに緑が繁っていた景色を知っている父。いま見つめているのは同じ景色だけれど、昔の風景を知っている父にはきっと、あの頃ここにあった、葉の隙間から差し込む光や高く伸びて撓る緑色の竹も見えている。

範囲はどれくらいだったのか。入ったことはあるか。父しか知らない景色があることが羨ましくなって、いくつか質問をする。「道路の反対側までずっと」「春にはたけのこを掘ったよ」。そう答える父の記憶を、少しずつ、手繰り寄せた。



「文字に残しておく、というのは大切なことです」

カーステレオから聞こえてきた女性の声に、会話を止める。

ラジオのローカル番組の地元のひとを紹介するコーナーで、習字教室の先生が「書く」ことの大切さを説いていた。

「聞くだけ、考えるだけでは忘れてしまうことって、たくさんあるでしょう?昔から、文字にしておくことで忘れなくなる、夢が叶いやすくなる、と言われてきました」

あぁ、そうだよな。納得しながら窓の外を見る。

川向こうに建っているマンションの場所は、昔はパン屋さんだった。レジの横の冷蔵庫に入っていた手作りのプリンが大好きで、パン屋さんなのにプリンばかり買っていたんだっけ。

道路の反対側の住宅街は、昔は田んぼだった。ちょうど夏休みは水を引き入れる時期だったから、ラジオ体操の帰り道に、水路に葉っぱを流してきょうだいで競争していたのだ。水の深さは1cmにもならないのに、ぐんぐん運ばれる葉っぱのスピードに追い付くほうが大変なくらいだったはず。

まだ思い出せるけれど、いつか忘れてしまうんだろうか。

ささいなことだけれど、もったいないな、と思う。父みたいに、いつまでも鮮やかに語りたい、と思う。

いま見ている景色。誰かが教えてくれた、昔確かにそこにあった景色。立ち会うことのできた「いま」と、偶然知ることのできた「昔」を私は忘れないために書き留めたい。

たとえ、どんどん上書きされてしまうものだとしても。

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