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「いつも」があるからこそ

この間、約一年ぶりに旅行をした。旅行、とは言っても県内のちょっぴりいい旅館に泊まっただけなのだけれど、誰かと出かけて、自分の家ではないところに泊まるのはこんなにもわくわくするものだったのか、と驚いた。

泊まったのは、館内のどこにいても波の音がざざ、ざざ、と聞こえてくるような。海のほとりの小さな旅館。毎日見ている海よりも青がほんの少し明るくて、筆の先にちょんと付けたくらいの緑色を溶かしたような色の海面を見つめていると、何だかすごく遠くまで来たような気がした。

部屋のポットでお湯を沸かしてお茶を飲んだり、運ばれてくると「わぁ」と声が出てしまうようなきれいな盛り付けの夕食でお腹いっぱいになったり、友達と部屋のお風呂の順番を譲り合ったり。部屋についていた小さな露天風呂に浸かって夜風に吹かれていると、仕事の悩みもどこかへ飛んで行ってしまいそうだった。旅行なんて学生の頃から何度かしてきているはずなのに、久しぶりに味わうそのひとつひとつに、たまらなく華やいだ気持ちになる。友達と一晩中たっぷり話し込もうね、と約束をしていたのに、「やっぱり旅行っていいよねぇ」とふたりで言い合っているうち、気が付いたら眠りに落ちていた。

家に帰ってからも、家族に写真を見せては「よかった、よかった」と呟いていた。いつもなら日曜日の夜は「明日から仕事」と憂鬱な気分になってしまうけれど、しゃきっとリフレッシュした頭と身体で頑張れそうだった。

明日も仕事だし、と早めにお風呂に入る。あの露天風呂みたいにお湯がひたひたなら気持ちいいのに、と思いながらざぶんと浴槽に身を沈めた。

何も考えていないのに、いつもと同じ方向を向いて浴槽の中に座っている。いつもと同じように足を伸ばして、いつもと同じように大きく息を吐いている。

あら、ぴったり。

あの露天風呂にはなかった、かちりとパズルがはまったような安心感があった。

苦しいほどにいっぱいのおなかを抱えて浸かる露天風呂もいいけれど、上がればすぐに動けるくらいに軽い身体で浸かる家のお風呂が好きだ。ひたひたに満ちた温泉もいいけれど、そろそろだよね、とにごり湯にしたバスクリンを溶かしたお湯でだって、しっかり温まれる。

お風呂から上がると、ひんやりした空気が気持ちいい時期になった。

「やっぱりさ、家が一番いいね」

そういうと、母は嬉しそうに笑う。

日常と、その間にぽつりと現れる非日常を行ったり来たり。きっと私たちはそうやって進んで行くのだ。

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