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結婚は私の世界を狭めない

ゼクシィのコピーは、いつも素敵だと思う。中でも、これがダントツで好きだ。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです

なんて柔らかく、温かいコピーなのだろう。「ゼクシィ」という結婚する人をターゲットにした雑誌が、結婚しない人の幸せを認めている。結婚も確かに幸せだけれど、他の幸せもあるよね、と押し付けがましくなく、ふわっと寄り添うようなこのコピーが響いたのは、数年前、私が「結婚しない幸せ」を選ぼうとしていたからなのかもしれない。

大学四年生の時に所属していた研究室の先生は、とても素敵な人だった。研究室にはいつも先生がジャケ買いしたジャズが流れていて、家から持ってきたおいしいコーヒーの香りが満ちていた。先生はちょっとだけ朝が苦手で、授業がないときはお昼過ぎに出勤して、フルーツとヨーグルトを研究室で食べていた。私たちのティータイム(という名前の長すぎる休憩)にも参加して、お父さん以上に年が離れているのに、一度も否定することなく、いつも笑顔で話を聞いてくださっていた。

そんな先生だから、研究室の来客はいつも絶えなかった。「先生のコーヒーが飲みたくて」と訪ねてくる卒業生もたくさんいて、先生もとても嬉しそうにしていた。

ある日、ひとりの先輩が訪ねてきて、こう切り出した。

「先生、私、プロポーズされたんです」

そうですか!それはおめでとうございます、おめでたいですねえ、と笑顔の先生。対して、先輩は浮かない顔をしている。

「でも、彼が県外にいるんです。ついてきて欲しいって言われてるんですけど、仕事も辞めたくなくて、ちょっと悩んでて」

ヒヤッとした。やっぱり悩むときが来るんだな。当時私は就職活動中で、激務だと言われる業界を志望していた。外に出てバリバリ働くことこそ、自分の視野を広げることだと信じていた。周りの人に「結婚したら続けられない仕事だよ」と言われても、それでもどうしてもその業界で働きたくて、「それでもいいよ、結婚より仕事の方が大事だもん」と言っていた。まるで、結婚より仕事を選ぶことが格好いいんだと自分に言い聞かせるように。

先生は笑顔のまま、ゆっくり話し出した。

「それはどっちを選んでもいいんですよ。どっちにしても幸せになれるんです。でもね、結婚もいいもんですよ。私もね、結婚なんて、って思うてたんです。でも長い間一緒にいると、相手のいいところが見えてくるもんです。それに、結婚っていうのはひとりではできないことが、ふたりになったらできるようになることですからねえ」

凝り固まった心に、温かい言葉がじんわりと染み渡る。ひとりでも幸せになれる。ふたりでも幸せになれる。結婚は、決して世界を狭めるものではなくて、新しい世界を見せてくれるものなのだ。

数週間後に再び訪ねてきた先輩の左手の薬指には、指輪が光っていた。幸せそうな笑顔に、こちらまで嬉しくなる。

いつか私も、悩むときが来るのだろうか。そんなときが来るのが、ちょっと楽しみで、ちょっと不安だ。それでもきっと、大丈夫。だってどちらを選んでも、私たちは幸せになれるのだから。

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