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きっと鏡に映るから

ふとした瞬間に、あぁ、この人の言葉づかいが好きだな、と思うことがある。すごく丁寧じゃなくても、綺麗に整っていなくてもいい。文法が正しくなくたっていい。初めて聞く言葉の組み合わせだったり、とてつもなく気持ちが伝わってくるような言葉に出会うと、私の胸はきゅんとする。本当に、それだけで、たったひとことで恋に落ちてしまう自信がある。


ここで文章を書くようになってから、最初は単純に「書く」ことを楽しんでいた。自分の気持ちを整理して、「文章」らしきものの形に整える。ページを開いてもらえる回数は1日に20回くらいだったけれど、私はその「かたちにする」ことを楽しんでいたのだと思う。

けれど毎日たくさんの文章に触れていると、そこにはたくさんの意志があることに気づいた。伝えたいことが明確な文章は強い。書き手の感情が溢れる文章は熱い。素晴らしい文章に触れるたび、考えるようになった。

私は何が書きたいのだろう。私はどうして書いているのだろう。

なかなか文章が書けない日、システム手帳の後ろにフリーメモをくっつけて作ったネタ帳を見ながらテーマを考える。二重線で消されたネタも、まだ膨らみ切らなくて置いてあるネタも、ほとんどがカギかっこで囲まれた誰かのセリフになっている。パソコンの前で頭を抱えていたけれど、すとん、と落ちてきたものがあった。

これだ。私はこれが、書きたいんだ。

私は、心を大きく揺さぶられたあの人の言葉が書きたい。もう他のことはすっかり忘れてしまっているのに、ぽっかりといつまでも浮かんでいるあの子の考えが書きたい。ずっとずっと握りしめている、道しるべのような言葉。それを、まだ会ったことのないあなたにも届くといいなと思いながら書いている。

真っ白なページにぽつりぽつりと文字を打ち始めるとき、私はその日に書きたい誰かの言葉を視線の先に置いている。ゴールを見つめると、ぐっと視線が上を向く。どうすればその言葉が生きるか、どうすれば響くのか。まだまだ技術は足りないけれど、考えながら書いている。大切な言葉が「書く」先にあると、不思議とぐんぐん進んでゆけるのだ。

嬉しかったんだよなぁ、とか、すごく染みたなぁ、とか、書きながら当時の気持ちを思い出す。キーボードを叩きながら、私もこんなことが言えるようになりたいな、といつも考える。

すごく丁寧じゃなくても、綺麗に整っていなくてもいい。目の前にいるあなたをきゅんとさせるような、可愛くて、温かくて、とびきり優しい言葉を私も紡ぎたい。


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