長男1回目 2
そして嵐が起こる
予兆
「なんとなくおかしいぞ・・・」
という予感は少しあった気がする。
だが、その頃仕事もかなりハードだった私は、
できるだけそのことに気が付かないように
していたのかもしれない。
ある時、ご近所のママから
「長男くん、大丈夫?」
と聞かれた。
何のこと?と尋ねると、衝撃の事実だった。
どうも長男は、
担任の先生から目をつけられているようだった。
後でわかったことだが、
たまたま学校に訪れていた保護者にも聞こえるような、
教室の外に響くぐらいの金切り声で怒鳴られたり、
廊下に立たされていたそうだ。(昭和か)
その後、ウチの長男だけではなく、
何人かの男子が標的にされていたらしいことが
わかってくるが、その時はそこまで知る由もなかった。
その頃知らなかったこととして、もう1つ。
長男の特性のことだ。
長男は発達障害という診断にはならなかったが、
凸凹タイプ。
それがはっきりとわかったのは、
5年も後になってからなのでここで詳細は端折るが、
比較的高IQだが理解力凸、処理能力凹で
その差実に30以上。
つまり、視覚から得られた情報を瞬時に捉え、
理解する能力には長けているが、
コツコツとノートを取る等の能力が前者に比べると低い。
黒板に書かれたことはパッと見て
そこそこ容易く理解する。
ゆえに、板書なんてするはずもなく、
テストも途中式を書かずとも回答まで到達する。
わかっている内容ばかりの授業は
彼にとってつまらないもので、
だんだんとダラダラし始め、
とてもじゃないけど真面目に聞いてるように
見えなかったのだろうとは推察できる。
宿題も「わかっているのに
なんで同じことをやらせるの?」
ということだったのだろう、当然やらない。なのに学校の成績はそれなりに良い。
先生からするとイラッとするポイントは
相当高かったのも事実だったのではないだろうか。
急変
あるとき長男が、悔しそうな顔をして家に帰ってきた。
なかなか話してくれないが、やっと一言
「濡れ衣を着せられた」
と。
でもそれ以上詳しくは拒否。
このあたりから長男の顔から徐々に笑顔が消え、
毎日のように体調不良を訴えるようになる。
これはただ事ではない。
直感が遅かったと言えば遅かったのかもしれない。
その時点で相当長男は、疲弊していた。
ある日とうとう
「学校に行きたくない」
と言い出した。
実はこのあたりの細かいことはあまりよく覚えていない。
しかし、学校に通うことを「良し」と考え、
元気に学校生活を送っている
息子達の姿を見ることが喜びだった私にとって、
強烈な衝撃が走った記憶だけはある。
それにプラスして、フルタイムで働いている自分。
しかもちょうどグループ長を任された時期でもあり、
心身ともに余裕もない。
子供が学校を拒否した時、
大半の親は同じような反応になるだろう。
私も当然のように自分が「良し」と思っていた方向、
つまりは再登校が唯一の解決策だとしか思っておらず、
迷うことなく長男を学校にいざなう毎日が始まった。
当時はまだ長男の特性もわかっていなかった私は
「宿題をしない我が子の方が悪く、
先生にご迷惑をかけている」
そんな感覚でいたのだ。
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