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音喜多駿氏には同性婚問題解決の意志はあるのか~わざわざ遠回りをすすめる音喜多議員

もう、何をいっても音喜多駿参議院議員(日本維新の会)には無駄だろうと思う。そうはいっても、音喜多議員の知ったかぶりにやデマ拡散はいただけない。何せ、音喜多氏は、「国民の代表」たる参議院議員なのだから。

過去の音喜多氏に対する記事を一応載せておく。
音喜多駿議員(維新)の同性婚違憲判決の解説は驚き桃の木山椒の木~同性婚は憲法改正なしにできないはウソ
音喜多駿議員のセコさ。ズルさ。そして、無知さ。

新たなデタラメブログをアップした音喜多氏

音喜多氏の、同性婚違憲・札幌地裁判決に関するデタラメ記事の問題については、前々記事でアップした。詳しくはそちらを見ていただきたいが、端的にいえば、音喜多氏が「同性婚違憲判決は、同性婚は憲法改正をしないと認められないと示唆するものであり、報道はミスリード」としたものである。これがデタラメであるのは前々記事の通りだ。

そして、そのデタラメさについて再三指摘したが、逃走したことは、前記事に書いたとおりである。

もう懲りたのかと思いきや、音喜多氏は、「反省したり、何か勉強したりすることなく」、新たに同性婚違憲判決を「まとめ」ている。それがこちら

結局それもデタラメや、判決や同性婚問題を理解していない、およそ容認しがたいものである。これがLGBTの平等活動推進役というのだから、情けない。

以下、新たなブログで何がおかしいか、極力主観を除いて理論的な批判をしていく。音喜多氏は反論できるなら、ぜひしてほしい。

いつの間にか立場を変えた音喜多氏

音喜多氏の当初の「見解」は、「「同性婚」の実現には憲法改正が必要ということが示唆された」というものであった。これは、判決文を読んだ者からすれば、もはやデタラメであり、少数説というレベルの話ではなく、判決文を全く読んでいないか、理解できていないか、というレベルのものである。デタラメというと、主観的に聞こえるが、例えば判決文を読んで、その趣旨を答えよという場合に、こんなことを書いたら、❌になるものである。法律学以前に、国語の問題だ。

さて、その辺は前々記事に書いているからいいだろう。

ところが、音喜多氏の新ブログでは、

今回の判決においてもなお、憲法(24条)は同性婚について認めるとも禁止するとも言っていない。私は判決文の内容等から、憲法改正の必要性を示唆と解釈しましたが、これは少数説。

と記述。何度もいうように「説」にはなりえず、「少数説」ではない。が、続けて

同性婚が現行憲法において容認されうるとしても、憲法改正により明確に同性婚を婚姻として容認あるいは保障した方がクリアであり、差別解消にも資するという主張はある(私はこの立場)。

と記述している。

いや、音喜多氏は、「同性婚は憲法改正をしないと認められない」という立場だったはずなのではないか。だから、私は指摘したし、また、音喜多氏もだからその「思想」に基づいてマスメディア(報道)を批判したのではないか。

ともあれ、音喜多氏の当初の主張は、
同姓婚は現行憲法では認められない
というものだったのに、
同姓婚は現行憲法で認められる
コペルニクスもビックリの大転換をしているのである。
(なお、「同性婚が現行憲法において容認されうる」ではなく、「同性婚が現行憲法において容認される」のだが。)

※「音喜多氏自身」ではなく、「判決は」いまだに憲法改正が必要と示唆していると思っている可能性もなくはない。

自らの主張を、間違っていたと理解したからか、表面上筋を通していると見せかけて、大転換しているのである。

判決文を読んでいるのか疑わしい音喜多氏

続いて、判決文を受けて、音喜多氏は、同姓婚に関する「理想順位」とやらをつけている。その内容が以下の通りだ。

①憲法改正をして、(戸籍まで含めた)フルスペックの同性婚を認める
②憲法改正はせず、戸籍までは含めないが法的利益が担保される同性婚(パートナーシップ制度)を認める
③憲法改正はせず、フルスペックの同性婚を認める
④憲法改正も同性婚の制定もしない
③より②の方が上に来ているのは、伝統的な価値観を持つ人たちとの対立が深刻化してしまうことが懸念されるからです。また②の場合、選択的夫婦別姓の問題についても一定の解決を見ることができます。

判決文を読んでいる人は、おやおや?と思ったはずだ。

判決の一部を引用しよう。

まず、婚姻について、以下のように示している。

婚姻とは、婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解することができる(以下「婚姻によって生じる法的効果」という。)

つまり、「婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる」のが「婚姻によって生じる法的効果」である。

そして、同判決が、同性婚禁止が憲法14条に反するとした理由は、

異性愛者と同性愛者の違いは、人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく、いかなる性的指向を有する者であっても、享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。…同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは、立法府の裁量権の範囲を超えたものであるといわざるを得ず、本件区別取扱いは、その限度で合理的根拠を欠く差別取扱いに当たる…

という点にある。

すなわち、「婚姻によって生じる効果」が同性婚で認められないことが問題なのである。そして、その効果は先に述べた通り、「婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し、戸籍によってその身分関係が公証され、その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという、身分関係と結び付いた複合的な法的効果」である。

したがって、これを解消するには、「婚姻によって生じる法的効果」を同性間においても認めること必要なのである。そして、その法的効果の根幹は「戸籍」であることは、判決文に書いてある(2つ前の引用参考)。他方、「憲法での明文による保障」は少なくとも判決文上は「婚姻によって生じる法的効果」に含まれていない。

さてここで、もう一度音喜多氏の主張を見る。

①憲法改正をして、(戸籍まで含めた)フルスペックの同性婚を認める
②憲法改正はせず、戸籍までは含めないが法的利益が担保される同性婚(パートナーシップ制度)を認める
③憲法改正はせず、フルスペックの同性婚を認める
④憲法改正も同性婚の制定もしない
③より②の方が上に来ているのは、伝統的な価値観を持つ人たちとの対立が深刻化してしまうことが懸念されるからです。また②の場合、選択的夫婦別姓の問題についても一定の解決を見ることができます。

③よりも上に来ている、「②憲法改正はせず、戸籍までは含めないが法的利益が担保される同性婚(パートナーシップ制度)を認める」というのは、戸籍が「婚姻によって生じる法的効果」に含まれるとした判決を無視したものであり、解決になっていない、せいぜい④よりマシという程度である。

本件判決の「婚姻によって生じる法的効果」是正には、①と③以外に選択肢はない。
そして本件判決からは、③ができることは明らかであり、かつ「婚姻によって生じる法的効果」に「憲法での明文による保障」は含まれず、少なくとも「戸籍」などの方が平等解決において重要であるということを示している。

③が②よりも下に来るのは、音喜多氏が①判決を読んでいないか、あるいは②同性婚は異性婚より不利益があって当然という、判決とは全く別の差別的な主張なのか、のいずれかである。

音喜多氏は、本当に同性婚問題をいち早く解決する気があるのか

私がかねがね疑問なのは、音喜多氏に早急に同性婚問題を解決する気があるのか、という点である。

というのも、現在考えられる最も早い同性婚を認める手段は、民法や戸籍法等の改正であり、憲法改正ではないからだ。

民法改正は、(憲法にも必要な審議などを除いて)国会(衆参)のみでできる。同性婚規定についても、民法で同性婚規定を設けても憲法違反にはならないことから、やろうと思えばかなり早くできる。

他方、憲法改正は、そんなに簡単なものではない(簡単でないからこその憲法なのだが(硬性憲法))。憲法改正の発議をし、国会での衆参2/3以上の賛成、そして国民投票。仮にできても年単位に時間がかかるものであり、それまで不平等状態を放置するのは酷だ。
また、憲法を改正したとしても、民法等を改正しなければ婚姻制度は変わらない。(当然憲法に反する民法は無効なので、直ちに民法改正が必要になるが。)

わざわざ時間のかかる憲法改正から同性婚を認めようという音喜多氏の言動は、当事者たちが「いち早く」解決を求めているのに対する背信行為である。

くわえて、先にも述べた通り、音喜多氏は、「戸籍」は「伝統的な価値観を持つ人たちとの対立が深刻化してしまうことが懸念される」ために、民法改正をするくらいなら認められなくてもよいという記述をしている。
当事者は「いち早く」、「戸籍」を含めた「婚姻によって生じる法的効果」の不平等を是正してほしいのではなかろうか。音喜多氏の主張は、同性婚を求める当事者よりも、「伝統的な価値観を持つ人」、いうなれば差別的な考えを持つ人に配慮すべき、というも同然なのである。

民法改正で同性婚を認めるのが最短距離、それを嫌がる音喜多氏

何度でもいう。

現行憲法は、同姓婚を禁止していない。それどころか、14条で異性間か同姓間か問わず、平等に同じ利益を享受することが保障されている(というのが本件判決である)。

それならば、同性婚は、民法や戸籍法など、婚姻に関する法律の改正が一番近道であり、同性婚を求める当事者にとって、もっともよい道なのだ。

どうしても、憲法改正したい。そういう音喜多氏の思想の根底には、「同姓婚は異性婚に比べて不利益があって当然」「いつか認められればいいんでしょ」というものがあるのではないか。潜在的な差別意識そのものではないか。

ここ数日の音喜多議員の主張を見ていると、そう思えてならない。


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