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音喜多駿議員のセコさ。ズルさ。そして、無知さ。

セコい、とか、ズルい、とかはあまり客観的な言葉ではないので、極力使いたくない。しかし、使わざるをえないほど、音喜多駿参議院議員(日本維新の会)は、セコいし、ズルいし、そして無知なのである。

音喜多議員が、3月17日の札幌地裁の同性婚違憲判決において「解説」(音喜多駿ブログ:「同性婚できないのは憲法違反」報道はミスリード~)をしていたことは、前の記事で述べた通りだ。(「解説」という言葉は削除したらしい。)

それについて、音喜多駿氏自身にTwitterで絡み()、音喜多氏の発言(ツイート)を得られた。Twitterでの会話が進むにつれ、音喜多氏がセコくて、ズルくて、そして無知であると思わざるを得なくなった。以下、経過と共に適当な文章で書いていく。

音喜多氏はなぜ弱小Twitterに返答したか

音喜多氏は、参議院議員ということもあり、そのTwitterのフォロワー数は6.2万人であり、フォロワー数若干130ほどの私の絡んだアカウントとは比べ物にならないくらい大きい。そんな弱小Twitterに反応していただいたことは、感謝するほかない。

なぜ、反応したかはわからないが、おそらく私のしつこさゆえだろう。連続して5回以上、音喜多氏に対してツイートし続けた。暇人か、といいたくなるだろうが、暇はないはずなのに、いつの間にかTwitterを触っているから仕方ない。

自らの誤った主張をすり替えようとした音喜多氏

音喜多氏は、山尾志桜里議員(国民民主)の、同性婚に憲法改正は必要ないが、改憲して憲法上の保障にした方がよいというツイートに便乗し、リツイート。(なお、同性婚は現憲法下でも保障されると考えられ、この山尾議員の主張に正面から賛同はできないが、論理としてはありうる。)
音喜多氏は、そもそも「同性婚には憲法改正が必要」と主張、まして「裁判所が憲法改正が必要と示唆している」という論理がロケットに乗って飛んだかのごとく、凄まじい論理の飛躍による「解説」をしていた。この「解説」が誤りであることは、本人もさすがに自覚したのか、山尾氏の「同性婚に憲法改正は必要ないが、憲法改正をした方がいい」との主張をさも自身の主張と同じかのごとく扱う。論点のすり替えのようなことを行ったのだ。

当初のブログが誤りであると認めるなら、撤回、訂正、そして誤りを広めた点や卑下した報道などに謝罪すればすむ話である。これをしてくれさえすれば、十分である。そこで、それを求めたのがこのツイートである。

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強気だった音喜多氏

さて、これに対する回答は

私は判決内容から「同性婚は憲法改正が必要と示唆した」ものと受け止めました。それは私個人の意見です。謝罪や訂正が必要だと考えるのは何故でしょうか。貴方がそれを批判するのが自由なように、私が意見を発信することも自由です。「解説」という表現は取り下げました。

なかなか強気である。私のnoteも読んでいなかったのだろう。「個人の意見だから謝罪も訂正もいらないし、自由だ」とのこと。なお、「解説」は「論評」と名が変わっているが、そういう問題ではない。判決の論評になどなっていないのだ。

やたらと丁寧になった音喜多氏

さて、そこで私は、私のノートを読むようお願いした。突飛な内容ではなく、誰でもわかる、一般的に受け入れられていることをもとに、音喜多氏の誤りをまとめただけのものだ(前の記事)。

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その返答がこちら。

ありがとうございます。拝読致しましたが、憲法についての理解も含めて見解の相違かと思います。同性婚を前に進めていく気持ちに相違はありませんので、引き続き宜しくお願いします。

不気味さを感じるほど、態度が変わっている。おそらくそれまではただの攻撃だと思われていたのだろう。

しかし、彼はあくまで「誤り」ではなく「憲法についての理解も含めて見解の相違」という。
憲法の理解といっても、私のnoteには、憲法は権力者を縛り、国民の自由を保障するという旨のことしか書いておらず、これは普遍的なものであり、これに相違があっては困るのだが…。また、私は音喜多氏の記述が解釈の違い(音喜多氏のいう見解の相違)のレベルではない「誤り」であると明言しており、全く納得できない。
そもそも、「見解の違い」ならば「誤り」ではないため、「誤り」と書いた私が音喜多氏を貶めていることになるではないか。いいやちがう、音喜多氏の記述は、「誤り」だから「誤り」と書いているのだ。

逃げまくる音喜多氏

音喜多氏は、木村草太教授に「差別主義者」といわれたーーーと被害者アピールを続けたものの、どのような「憲法の理解」でいかなる「見解の相違」かという質問に対する返事がなかなか来ない。
そこで@ツイートを追加でする。これ、意外と効果がある。

ちなみに、裁判所が自らをも制約する憲法について、改正が必要だと示唆するなどということがあったら、それこそ憲政史上初?となる大事件である。

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さて、答えが来る。

この文章や考え自体にすでに見解の相違があるので、それぞれ異なる立場から情報発信を続けるのが建設的かと存じます。

ちょっとまて。逃げるのか。

あわてて、次のツイートをする。

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二者択一。これに答えないということはないだろう。また、情報発信の建設的云々は、ウソが含まれないことが前提だと付言しておく。

が、しばらくしても回答が来ない。また木村草太教授に対する不満と音喜多氏が木村草太教授への返答を求めるツイートをしているから、私も負けずに返答を求めるツイートをする。(回答が来たため削除。)そこから、間もなく返答が来る。

ウソでも情報発信は建設的?答えない音喜多氏

貴方と私では寄って立つ前提が異なるようです。どちらが間違い・誤りとも限らず、後段のロジックも私としては承服しかねますので、本件はこれにて失礼いたします。

結局、なにも答えない。私は音喜多氏が「誤っている」と書いているわけで、音喜多氏は私の記事が「誤り」だとはいわない。しかし、「誤っている」か「誤っていないか」のどちらかしかない。「音喜多氏の記事は正しいが、(音喜多氏の記事が誤りとする)私の記事も正しい」というのは論理的にあり得ない。

とにかく、音喜多氏は私の「音喜多氏が誤り」とする記事に対する、反論は何一つない。挙げ句に打ち切る。
「寄って立つ前提が違う」とか勝手にいっているが、それならば、法律をしっているか、しらないか、という前提くらいだ。論理的な反論が来ることを楽しみにしていたのに、これでは残念きわまりない。ただ、反論ができない、ということはわかった。

また、「後段のロジックも承服しかねる」とのことだが、後段とは「発信は建設的でも、誤った情報発信は、建設的どころか破壊的です。」のことだろう。これを承服できないということは、「誤った情報発信でも建設的」とでもいうのだろうか。国会議員、まして、良識の府たる参議院議員の発言とは信じがたいし、議員の適格がないとしかいいようがない。

言われておわりではつまらない。こちらも一言か得させていただく。

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そう、前にも書いたが「見解の違い」があるとするならば、それは、法律的な見解か、否かである。そして、法律の話をしている以上、法律的な見解でなければそれは誤りである。

何よりプライドが大事な音喜多氏

音喜多氏は、プライドが高いのはよくわかる。プライドが高いことは決して悪いことばかりではないが、絶対に誤りを認めない、というのはそこから生まれるのだろう。

だが、まともに反論されるのが怖いからか、逃げまくり、別のことで自分が被害者だと主張しまくる。それはあまりにセコいのではないか。人をバカにしておいて、自分は議論を避ける。ズルいではないか。何もしらないのに知ったかぶりとしかいいようのない「解説」だか「論評」だかする。勉強もしないで。

音喜多氏とは卒業大学学部学科、全て同じ。

こんな先輩は御免だ。

音喜多議員に対するこれまでの記事はこちら

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