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産経・佐々木類論説副委員長による恥ずかしい武蔵野市住民投票条例反対「妄言」

 産経新聞が先の様々な意味で怪しい記事に加え、「風を読む―武蔵野市長の透ける政治野心 論説副委員長・佐々木類」とする論説を出した(12/7朝刊)。しかし、佐々木論説副委員長の能力のなさはともかく、産経新聞社に、法律に詳しい人間や論理性のある人間はいないのかと疑わしくなる記述が目立ち、もはや「妄言」である。加えて、メディアとしてろくに文献や調査もせず、長島氏の主張を鵜呑みにしているだけであるから、呆れたものである。
 さて、愚痴はそこまでにして、論説を(住民投票条例に関する部分から)すべて見ていく。(グレーの部分は上記記事の引用である。)

1.条例案は違憲濃厚ではない

条例案で懸念されるのは、安全保障やエネルギー問題など国政に関わる事柄が住民投票に付された場合、外国人の意思が影響しかねないことだ。憲法で参政権は日本国民固有の権利とされており、条例案は違憲の疑いが濃厚だ。

 そもそも、武蔵野市住民投票条例(案)に基づく住民投票は、「市の権限に属」する「市政に関する重要事項」について「住民に直接その意思を確認する必要があると認められるとき」に行われるものであり、国の権限である一般的な安全保障やエネルギー問題などは対象ではない。また、仮に住民投票が行われたとしても、市に権限がない以上、住民投票=市自身の力によって安全保障やエネルギー政策を転換することはできない。
 また、(国民としてだけでなく)市民に直接関係する限度において安全保障に関する問題(例えば武蔵野市には基地はないが基地問題)などについて住民投票が行われることはありうるが、それで安全保障が害されるような状態になるようであれば、それはひとえに地方自治体とのコミュニケーションに失敗した国側の問題である。安全保障は国の問題であり、市に権限はない。
 加えていえば、約15万人の人口をもつ武蔵野市において、少なくとも「外国人の意思」のみによって住民投票の結果が変わることはありえない。なお、外国人が日本人を「そそのかす」などというのであれば、外国人の住民投票権は関係ない。「そそのかす」ことは(実際にできるかは別として)、外国人がいさえすればよいのであるから。

 また、これは何回書いたか忘れるくらい繰り返し記述しているが、「憲法で参政権は日本国民固有の権利とされており、条例案は違憲の疑いが濃厚」というのはほぼデマといって差し支えないであろう。というのも、国政の参政権は日本国民にしか認められないとする一方、地方参政権については外国人も認めてもよいという判例がある。それにくわえ、選挙権・被選挙権と異なる住民投票権はいわゆる参政権ですらない。(長島昭久氏は「広義の参政権」というが、一般的に抗議の参政権とは公務員になること、すなわち「公務就任権」をさし、住民投票などはそれとも異なる。(芦部信喜「憲法 第7版」他))

2.住民投票は「諮問型」

松下氏は「代表者を選ぶ選挙と投票結果に法的拘束力がなく意見表明するための住民投票は位置付けが異なる」と述べている。確かに、住民投票に法的拘束力はないものの、条例案には「議会と市長は投票結果を尊重する」という規定も明記された。投票結果が政治的な意思決定過程に影響を与える可能性が指摘される所以(ゆえん)だ。

 法的拘束力がない、「諮問型」の住民投票権を、参政権と同視すること自体無理がある。これも、別稿で記述したが、地方選挙を含めて参政権は法律で定められており、すなわち国会でしか変えることはできない。
 また、「投票結果を尊重する」のは当然であり、そうでなければ住民投票の存在意義はもはやない。投票結果が政治的な意思決定過程に影響を与えるのは当然だが、あくまでそれは「諮問」であり、それですべてが決まるわけではないのである。

3.外国人を排除することは合理的か

松下氏は「外国籍住民の排除に合理的な理由はない」とも語っている。だが、武蔵野市のJR吉祥寺駅前で5日午後、反対演説していた自民党の長島昭久元防衛副大臣は「市長には異例なことをしている自覚がない。他の自治体は不合理だというのか。市長自らが合理性を説明すべきだ」と述べた。

長島昭久氏の暴論については、繰り返し述べてきたから今更詳しくは扱わないが、「異例なこと」とも言い切れない。というのも、既に神奈川県逗子市と大阪府豊中市では、武蔵野市の条例案と同様、外国籍住民についても日本人同様の要件で住民投票をすることができるからである。また、仮に「異例なこと」をしていたとして、異例なことが「不合理」ということこそ意味不明である。市民として暮らす「外国籍住民の排除に合理的な理由はない」というのは、外国籍住民を排除することは「地方自治の本旨」(憲法92条)に照らしても不合理であることくらいは容易に想像できるし、また、市の各種資料にも外国籍住民を含めることについての問答集などがあり、市は十分に説明しているといえる。
それに加え、本来「住民」であれば有するはずの住民投票権を外国人から奪おうとするのであるから、「地方自治の本旨」を無視してまで排除する合理的な理由を説明すべきである。

4.住民投票のために移住してくるのか

中国人、韓国人ら知人の顔を思い浮かべると、ことさら排外主義をあおることは厳に慎まねばならないと思うが、それと外国人参政権の問題は別次元の話である。特定の政治勢力に属し、市政や国政に影響を与えることを目的として市内に移住しようと考える人が出てくる可能性だってある。

そもそも、外国人参政権ではない。また、「排外主義をあおることは厳に慎まねばならない」としていることからも、この反対運動が排外主義的主張であるという自覚はあるようである。
さらに、「特定の政治勢力に属し、市政や国政に影響を与えることを目的として市内に移住しようと考える人が出てくる可能性だってある」とふざけたことを言っているが、残念ながら住民投票は先にも述べたように、市に外国人にとって特段に有利になりうる大きな権限はなく、また、諮問型であって法的拘束力もない。つまり、(すでに在住している外国人には市民として声を反映しやすくなるという意味においてメリットがあるが)移住するほどの外国人一般(あるいは特定の外国人)にとってのメリットはないのである。(現に、かなり前から同様の条例が施行されれている逗子市や豊中市で、条例制定以後外国籍住民が増えたという事実もない。)加えて、武蔵野市は15万人の人口を有する。それだけの日本人に対峙するだけの(日本人と主張の異なる「悪い」)外国人勢力をどうやって連れてきて、住まわせるのか、まったく現実味がない。(なお、武蔵野市は都内の中でも物価は高い。)

5.相談窓口等は住民投票と関係ない

仮に私が外国人留学生なら、市が小まめにアンケートを実施したり、通訳のいる専門の相談窓口を増設してくれたりした方が、よほどありがたいと思うだろう。その方が外国人の多種多様なニーズに応えることができるからだ。

 どこかで見たことのある言説である。
 「そもそも外国人といっても多種多様で、ムスリム系の住民と欧米系の住民とでは明らかに生活する上でのニーズは異なるでしょうから、彼らの生活の質を向上させ、住民生活における多様性を実現するためには、外国籍住民の方々にアンケートなどを実施したり、外国人専用の相談窓口を設けるなどして、多様なニーズを丁寧に吸い上げて、きめ細かく行政サービスに反映させることの方がはるかに有効ではないかと考えます。したがって、武蔵野市が取り組むべきは、外国籍住民が「市民」として地域コミュニティに溶け込めるよう、言語や生活面の支援サービスを充実させることではないでしょうか。」
とは、長島氏であり、まったく同じことが書いてある。もはや、長島氏のノートを引き写しただけである。

 が、これも長島氏への反論で私が書いた通り、あたかも条例ができるとそれは外国人のためにある、と言わんばかりの主張であるが、そもそも住民投票は、長島氏の言葉を借りれば「住民としてのニーズ」を「吸い上げる」ものである。(例えば住民税も払う)住民である外国人が住民投票権を付与されない理由にはならない。外国人のニーズを吸い上げるための「アンケート」や「相談窓口」は、別に行えるのであるから住民投票の議論とは関係ない。
 口実にすらなっていないともうが、住民投票権を外国人に与えない口実であり、排外的主張そのものである。

6.産経の「妄言」

松下氏には、菅氏の後釜を狙って条例を手土産にしたいという政治的野心が透けて見えると言ったら言い過ぎか。条例案が可決、成立すれば、他の自治体に波及する恐れがある。国益を損なう地方自治なら百害あって一利なしだ。

 妄想もいいところである。菅直人氏の後釜を狙って云々はもはや意味不明であるし、なんなら菅直人氏と松下市長の関係がこの条例で左右するようなものでないのも自明である。むしろ、松下市長としては、市民の声を無視し続けた土屋正忠元市長による姿勢から転換を図り、市民の声を反映させる市政にしようとした邑上守正前市長からの姿勢を受けつぎ、実現しようとしているだけである。菅氏への「手土産」というならば、むしろ邑上市政の残した市民の声を反映する市政という「置き土産」を存分に生かそうという姿勢そのものである。

 他自治体に波及も何も、武蔵野市は一例目でもないし、また外国籍住民も日本人同様の条件で住民投票権を得られるという条例は、何も問題ない
 そもそも、地方自治体の条例や住民投票で「国益が損なわれる」国では困る。また、住民の多数が反対するようなもので「国益」が守れるとも思えない。「国益」とは何なのか。

 長島昭久氏と結託して、法律に関して無知をさらし、非論理的な「妄言」的言説で煽り続けてヘイト街宣活動の根源となっている産経新聞こそ、市民の平穏な生活を害しているのではないか。

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