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私のための私による私だけの正義

ナインティナインの岡村さんがラジオで言った「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢をやります。これはなぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから。だから今は風俗に行くお金を貯めておくため歯を食いしばって頑張りましょう」という発言が炎上した。
私はなんてグロテスクな発言なのだろうと思った。誰かが苦しむことで自分が得をすることの何が面白いのか一切分からなかった。
既に抵抗を感じながらも生きるために風俗まで視野に入れて仕事を探している人の話を聞いていた。
とても働き者でただCOVID-19という誰も予期していなかった未知のウイルスによって仕事先がなくなり日常が奪われただけの人だ。
これから先の予測や架空なんかじゃない。
もう既に存在している隣人がそんな葛藤を背負っているのが今なのだ。

私はとても憤った。絶対に許される発言ではないと思ったし、それを肯定する知人の発言を見て有り得ないと感じた。
環境にも金銭的にも優しい伴侶にも恵まれたその人は日々の生活に困ることはない。家にこもってただひたすらCOVID-19を恐れていたから、それで風俗に行く人が減るなら良いことなのに批判する人は今風俗を自粛する人を増やせるのかと牙を剥いた。
彼女に貧困の末に望まぬ仕事をせざるを得ない誰かの姿は見えていない。

今日になって、私はふと思い出した。
私は飲食店の閉鎖に伴い、スーパーに普段より品質の良い魚が溢れているというツイートにいいねした。普段だったら出回らないくらい品質の良い魚の見分け方や売っている場所も。
その裏には魚が売れなくて困っている人がいるはずなのに。私は誰かが困って私が得をすることを何も考えずに肯定したのだ。
その苦しみに寄り添える人はいるはずだけど、私は少なくともその時、ただお得な情報だと思ってしまった。私もまた苦しむ誰かの姿が見えないことがある。

どこからどこまで正しくてどこからは間違っているかの線引きは人によって違う。
私の正義は絶対的な正しさなんかじゃない。私だけの正義だ。
どこかには絶対的な正義が存在すると信じてそれを追い求めていたこともある。でも、そんなものは恐らくないし、もしあったとしても私じゃ到底たどり着けないと思う。
事実、私は今までに今の自分であれば否定すべきだと感じる正しさをいくつも持った。
それによって傷付けた人も多くいる。
例えば、努力こそが全てだと思っていたり、自分に与えられたものを受け入れて身の程をわきまえるのが美徳だと思っていたり。私は今までの過ちを償うことはできない。
謝って今から先を変えることしかできない。

時々、誰にも正しく優しくありたいのに自分にその力がないことがたまらなく不安になる。
何の考えも持たずにAIか何かに最良と思われる思想を教えてもらってそれに従い続けることで思考を放棄したいと思うことすらある。何もせず何も言わなければ0でいられるから。
でも、多分、放棄したいのは思考じゃなくて責任なのだ。
絶対的な正しさを手に入れられない私が唯一できることは自分の正しさに責任を持ち続けることだと思う。
自分の考える正しさは決して万能じゃないし、世界の正しさでもない。
私には昔も今も見えないこと、分からないこと、間違ってしまうことがたくさんある。
それでも、私は自分の正しさの脆さを忘れずに私が正しいと思うことを行い、間違っていると思うことに声をあげ続ける。それが責任を取れない私が唯一できる責任の持ち方だと思うから。
だから私に関わる人達はどうか私に見えていないものを教えてください。私も間違った時に教えてもらえる人であるよう努力したいと思う。

件の彼女は恵まれている。私も同じく金銭的に環境的に恵まれている。
コロナ禍においてみんなそれぞれ不安や苦しみを背負っているのは間違いないと思う。
でも、その負荷は人によってあまりに違う。
私にとってはできるだけ多くの人に読んで欲しいと思って書き上げた本の発売が書店の多くが休業を余儀無くされている今と重なって厳しい状況になったのは悲しいことだ。ちょっと得意かもしれないと自信を持ち始めた海外ロケや講演会だって次いつできるのか分からない。立ち上げに苦心した実験だって十分にできない。
残り少ない大学院の授業はオンラインになったし、海外ロケが終わったら誕生日プレゼントを持って会いに行くのを楽しみにしていた祖母に会えるのはいつかわからない。
でも、不安なく家にいることができる状態にある。
恵まれていることは幸せなことだ。恥じることでもない。恵まれているから分からないことも不遇な環境だから分からないことも同じだけあると思っている。
しかし、加害性へ転じることが容易な属性でもあるという認識は固く握りしめて生きていないと手のつけられない化け物になってしまう可能性がある。全員がそうとは言わないけれど、少なくともそういう性質を持っている人はいて、私もその一人だ。

最近、驚くほど自分の無力さを実感することが多い。これは特に悲しいことではない。無力で当たり前なのにようやくその事実に気付けただけにすぎないのだから。
今の私は極力外出を避ける。手をよく洗う。行き場を失っているらしい牛乳をたくさん飲んでみる。僅かでも寄付をする。知識を蓄える。手の届く範囲の知人しか関われないけれど、一緒に困難を乗り越える方法を考える。自分が間違っていると思うことは間違っているという。考えを変える。考え続ける。とにかく考え続ける。
それが今の私にできる全てだ。
無力と0は違うから意味のないことだとは思わない。そもそも人間は一人という個体でバランスを取ることはできないけれど、それぞれが意思を持つことで何度となく世界は変わってきた。私は一人のメンバーとして私だけの正義を持ち続ける。国や人種、性別や職業、容姿等で人を分断することは間違っているという、私にとっては当たり前のこととか。
いつか私も倫理観をアップデートできなくなって時代にそぐわない人間になってポンコツのスクラップになる日がくるかもしれない。私にとっては何より大事な私だからその時は悲しいと思う。できれば、命続く限り、考えを更新し続けてついていきたいとは思う。
でも、そんな日がくるために今があるのかもしれない。
だから、私は今、自家撞着の繰り返しで自分の中の正しさと間違いの中で溺れかけながら自分ができることをする。それが私のための私による私だけの正義だ。

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