見出し画像

「寄り添う」って、言葉では簡単だけど

難しいなぁ、と思います。

私は学童で働いているのですが、自由時間が終わっても部屋に帰ってこない子がいて。

自分はもう休憩時間に入っていましたが、探してみると1人で泣いていました。

はじめは何も話してくれずに、「どっかいけ」の1点張りだったのですが、それでも休憩時間返上で寄り添っていると、話してくれたんですね。

一緒に遊んでいた友達にハブられてしまった、と。

その後、一緒に遊んでいた子にも話を聞いて、客観的に見れば大きな問題ではなかったし、どちらにも非はあるなと感じました。

ただ、その子達にとっては友達関係のこじれは大きな問題であることはわかります。

まあ、ここまでは良かったんですが、自分が休憩時間を取っていないことに気づいた上司が対応を変わってくれたんですね。

問題はその後でした。

休憩が終わりその子を見てみると、別のクラスの子達と楽しそうに遊んでいました。

「ああ、よかったな。大丈夫そうだな」と思って、特にアフターフォローをしなかったんですね。

ぶっちゃけ、どう解決すればよいかわからなかったし。

ただあとから振り返ると、それでも本人にもう一度話を聞くべきでした。

「何かできることはないか?」って聞いたのは自分なんだから。

むしろ無駄に話を引き出した分、余計に質が悪い。

私は、これからは子どもに、人に寄り添えるような人間になりたいと思っていましたし、以前の転職活動でもペラペラ「寄り添う」みたいな言葉を使っていました。

でも、楽観的すぎるというか、事なかれ主義的な面もあって。

「形だけ」寄り添っている。「形だけ」優しい。

そんな人間なんですよね。

本当に、自分にも人にも、真剣に向き合えるようになるには、どうしたらいいんでしょうか。

とかグダグダ考えるだけで、やらない人間ではいたくないんです。

考えて、振り返って、自己嫌悪するだけなら簡単だけど。

きっかけになるような出来事があって、そこからどう動くかが大事なんだと思います。





読んでいただき、ありがとうございました。おなつの記事一覧はhttps://note.com/kaonatu/n/nfee4335744e2から飛べます!これからもよろしくお願いします!!