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怒られる=嫌われると思っていた自己憐憫女のわたし

わたしは怒られることが極端に嫌いだ。

見ず知らずの他人から注意されたり怒られたりすることではなく、家族や友人など、自分が大事に思っている人から怒られることに過剰に反応する。

とはいってもいい大人だし、そこまで怒られることはないが、唯一いまだに容赦なく怒られる人がいる。

それは一緒に住んでいる妹だ。

日々の生活の至らないところや、今後の人生の方向性についてや、内容は様々あるがいつも正論で的を得ている。自分でも気付いていなかったことまで全部お見通しで、グサッと心に刺さるのだ。

怒られると、わたしは毎回ものすごく落ち込む。とにかくショックを受けてしまって、黙り込んでしまう。
気持ちはどん底で、もう自分はここからいなくなったほうがいい。どこか遠くへ行って誰とも連絡を取らず、いずれ独りで死んでしまえばいい。と、極端な自己憐憫地獄へ進む。
数日はショックと恥ずかしさとふてくされた気持ちから立ち直れず、ダンマリを決め込んで相手が普通に接してくるまでひたすら貝になる。という繰り返しだった。

実は先日もまたけっこう怒られた。
何度も注意されていることが直せなくて妹に甘えていたことについて冷静に怒られ、また落ち込みかけた。

どうして自分が悪いのにこんなに落ち込む必要があるのか、何がそんなに辛い気持ちにさせているのか、いつもは感情に飲み込まれるが今回は客観的に自分を掘り下げてみた。

そしてわかったこと。

わたしは怒られることを、嫌われることとイコールにしていた。自分も相手のことが嫌いなら気にならないが、自分が大切に思っている人から嫌われることはすごく辛い。
怒られたとき、同時に嫌われたと勝手に思い込んで辛くなっていたことに、初めて気付いた。

でもいったいなんでそう思ったの???

だって自分は妹に腹が立って怒っても、友達と意見を言い合うときも、まったく嫌いになんてならない。怒ったとしても一時的なもので、それで関係が終わりになることなんて考えもしないのに。

そう思った瞬間、びっくりするほど落ち込んでいない自分がいた。さらに、怒られた問題の改善策を考え始めて、その日のうちに妹と話し合うことができた。

今までの自分には考えられないことだった。

自分の感じている気持ちにちゃんと向き合って、思い込みを見つけてあげることでスッとわだかまりが消えるなんて、大発見をした気分だ。

気付いてしまったら同時に、今までの落ち込んでいた時間はなんと無駄だったのだろうと笑ってしまった。

自分のことが大好きだから傷付きたくなかったんだね。でもかわいそうで孤独でどうしようもない人間だと勝手に自己憐憫に浸っていた自分はもういらない。

これからは自分の中の重たいものをどんどん捨てて、身軽になっていく。
晴れて自己憐憫女から卒業できそうだ。

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