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時間に縛られることのわたしなりの解釈

人間は生きているだけで多くのやるべきことが発生する。
毎日の家事、掃除、食事、などなど。
しかし時間は限られている。

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毎朝、4時50分に起きることにした。

前は5時半に起きていたが、もう少しだけ早くした。

十分すぎるくらいの時間があるように思えるが、
朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。
しかし早く起きるようになってから、ぼーっとできる
つかのまの時間ができた。

夜、23時まで起きてもいいことにした。

前は21時には寝ないといけない!と思っていた。
家に帰ってきて家事をして入浴や明日の準備などしていると
あっという間に時間はすぎて寝る時間だ。

寝る時間を遅くするとこれまたぼーっとしたり、
こうしてnoteを書いたり、時間に余裕が生まれた。

朝ゆっくり寝ている自分と、夜早く眠りたい自分。
逆のようだが、わたしにとってはどちらも
「時間に縛られる」という同じ意味をもつ。

長く寝ていたいがために、
起きてから出発するまでずっとやることがあって忙しい。

早く寝たいがために、
帰ってきてから寝るまでずっとせわしなく動いている。

なんだか本末転倒。
知らず知らずに、時間に縛りつけられて余裕をなくしていた。

ちょっと早く起きれば余裕ができてのんびりできるのに。
もう少し遅くまで起きていれば本も読めるし
ストレッチもゆっくりできるのに。

睡眠時間よりも、そういう余裕のある時間を作れることのほうが、
わたしにとっては有意義だと思えた。

この時間から解放されたことで、
適度な眠気とたたかいながらも自分時間を楽しく過ごしている。
もちろん、すっごく眠い日は存分に早く寝るようにしている。
カラダに無理はさせない。

最近の日課は、出かける前にダイニングテーブルに物をなにも置かないで行くこと。きれいにテーブルを拭いて、花だけ飾って出発。
これがすっごく気持ちがいい。

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