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お白湯のこと
寒くなってくると毎朝のお白湯が楽しみになります。
でも、今年の夏は朝のお白湯をやめました。
理由は気温がとても高くて
体の中にいつも熱がこもった感じがあったからです。
そしてその間は湯冷ましに変えました。
私の毎日のリズムをつくる習慣
状況に応じて臨機応変に続けました。
温度も量も自分が心地よいというところ
飲むというより、口に含むだけにした時もあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1700787981090-lj0Awfu1Gx.jpg?width=1200)
漢方の先生が
「みんなが毎日お白湯を飲む必要はない」
とSNSで書いてらっしゃったのも
自分の感覚を信じて、これでよいのだな、と思うことに繋がりました。
私たちは毎日変化しているのだから
それは自然なことですし
それに、あぁ、そこには無理がないなって思いました。
春に生薬について学んだ先生が
先日やはり書いていらっしゃったのですが
体に良いとか効能がとか情報で頭でっかちになると
私たちは「薬効」を考え
「正しく」「取り入れること」に一生懸命になって
大切なことを見逃しがちに。
その先生も生薬について一生懸命学んでいた頃
とにかく症状にあわせてこれあれせっせと取り入れたそうです。
ある時、漢方の薬局で生薬を手に入れようとしたら
「あなたに必要なのは生薬を摂ることじゃなくて”休む”こと」と言われ
生薬を売ってくれなかったそうです。
大きな気づきだったと書いてらっしゃいました。
内側の不安や周りの騒音から退いて
むさぼることをやめて足りていることに目を向ける
これはそういうことでもあるのだろうと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1700786985123-HibuDopeUS.jpg?width=1200)
手元にあるステンレスのミルクパンで
習慣にしていることって
結構、無意識に流してしまっていたりします。
ポットやパンを火にかけること
カップを用意すること
今日はこのくらいの量で・・・など
意識してその時間を楽しむと
それはヨガ・瞑想の練習と全く同じです。
今日の体調に目を向ける機会になりますし
良い悪いでなく
毎日変化していることにも気がつきます。
そんな時
やはり「空間」が私の中に
そしてその場にも開くのがわかります。
マインドフルは目的ではなくて
そして手段でもなくて
それは眼差しの方向
豊かになる工夫かなと思います。
私たちの日常が豊かになる眼差しと工夫。
そしてその工夫の機会は
私たちの日常のはしばしにいつもあります。