見出し画像

「水も飲めない2週間」を経て。

激痛を伴う腸閉塞で14日間の入院。水すら禁止の「完全点滴生活」から無事に生還した後、自分のへなちょこな胃腸とどう付き合っているかをまとめました。食事と運動ではどうにもならないとき、私には「アレ」がある。おかげで心身共にラクになったなぁっていうお話です。

4年前のちょうど今頃、激しい胃痛と便秘に苦しんでいた


毎年12月後半になると「年末だねぇ」と実感します。クリスマスが終わった途端に正月モードに入る世の中的な変化ではなく、自身の体調が変わるのです。微妙な変調ではありますが、自分にとっては「お、来た」とわかるくらい、明らかに。

具体的には「便秘」と「胃痛」。冷えから来る胃腸の不調です。

2017年の年末もそうでした。ただ、そのときはまだ「お、来た」という明確な実感はなく、「なんか便秘気味?」という程度の認識でした。

「食物繊維をとらねば」と冷蔵庫にジャーサラダを常備して毎日食べたり、「食べる量が少なすぎてもいけないよね」と普段よりちょっと頑張って芋類を食べてみたり。年始には、夫の実家に行ってすき焼きやらカニやらを味わいつつ、「便秘気味なんだよね〜」とごぼうや海藻類もたらふく口にしました。

でも、便秘は一向によくならない。それどころか、年末から気になっていた胃痛がガマンできないレベルになっていました。

年明け早々、息子&親友と行ったとしまえん。とても楽しそうで私も楽しかったけど、じつは寒さと胃痛で泣きそうでした・・・。
この数日後、母はかわゆい息子を置いて入院することになるのです。。

キリキリと痛み続ける胃に辟易し、専門医に行って胃カメラも飲んでみました。が、「胃の状態はとてもいいです」との診断。処方されたロキソニンを飲んでも効かず、「なんだなんだ、何か悪い病気なのか?」と、ちょっと本気で検査したほうがいいかもと思いながらも、日々家族のごはんを作り、一緒に食べていたのです。


そして、2018年になってしばらく経ったあの夜。いつも通り夕飯を食べ(私はほんの少し)、息子を寝かしつけて、私もそろそろ寝なくてはと思っていました。でも、とてもじゃないけど眠れない。


先に寝ていた夫をわざわざ起こし、「すごく悪いんだけど、ここを押してほしい」と、胃痛に効くというツボをぐいぐい押してもらいました。数日前から胃痛があったので、ネットでツボを調べて何度か押してもらっていたので、夫も「はいはい」という感じではあったのですが、その日はあまりにも様子がおかしい。

エビのように身体を折り曲げ、うんうんとうなる私の姿に、夫は「これは救急車を呼ぶべきだ」と思ったそうです。それでも私は「救急車を呼ぶほどのことじゃないと思う。こんなんで呼んだら迷惑になっちゃうから、明日の朝イチで病院に行けばいいから」と拒みました。「いや、まさかそんなに悪いわけはない」と思い込んでいたんですね。

でもやはり、夫は見かねて救急車を呼びました。駆けつけてくれた救急隊員に「歩けますか?」と聞かれて「はい」と答えましたが、歩けませんでした。むしろもっと早く救急車を呼んだほうが迷惑じゃなかったかも、と、痛みと申し訳なさの中、「すみません」と絞り出すように言うと、「何もすまなくなんかないですよ。つらかったですね〜、これは」。

救急隊員が天使に見えました。冗談ではなく、このまま天に召されるんじゃないかと思うくらいの痛みでした。

救急搬送先はなかなか見つからないようでしたが、最終的に日赤医療センターに受け入れてもらいました。深夜の救急医療は一分一秒をあらそう修羅場です。なかなか診てもらえずうんうん唸っていましたが、きっと隣のベッドの方はもっと重傷なんだろうというのが、カーテン越しにも伝わってきました。

入院してしばらく経ってから、担当医(←今思いだしても神様に思えます)に「いえいえ、あなたも相当危険な状態だったんですよ」と教えていただきました。適切な処置をしていただいて、本当に感謝しかないですね。

死の淵を見た(ような気がした)痛み、正体は「腸閉塞」

診断の結果は腸閉塞。飲食物や消化液の流れが小腸や大腸で障害された状態のことで、「イレウス」ともいわれるそうです。一般的な原因は腹膜炎や腹部の手術後に起きる癒着のせいで腸管が曲がったりふさがったりするものらしいのですが、私は出産時を含めこれまで開腹手術をしたことはないのです。担当医も首をかしげ「そうなると直接的な原因は特定できませんが、ともかく閉塞を治していくしかないですね」と。

閉塞を治す。つまり、腸の一部に「つまり」があるので、そのつまりを取っていく必要があるわけです。手術をすれば早いですが、先生は「手術するとまたその傷跡が癒着して再発するのが心配です。少し時間はかかりますが、保存的療法を試みてみませんか?」と提案してくださいました。

保存的療法。具体的には、食べない、飲まない、今ある悪いものを出し切ること。鼻から管を通して腸までつなげ(悪いものを出すために)、点滴から栄養をいただき(水も禁止されました)、回復を待つことになりました。

最初の数日間はまだまだ痛みが非常に強く、検査のために車いすに乗せられるだけでもつらくて、何度も嘔吐し、ガマンしたくても痛みで涙が出ました。夫が後で「あんときは死相が出てたからねぇ」と言いましたが、たしかに1週間後に初めて鏡をチラ見する余裕が出たとき、そこに映った自分の顔を見て「生気がゼロだ・・・」と愕然としたものです。

鼻から腸へと通された管は喉に激痛を与え、唾液を飲み込むことすら痛くてできないくらい。入院費用がかさむので(←めちゃ不安!)保険のやり取りが必要だし、フリーランスゆえ仕事の連絡もしなきゃいけないのに、痛みで声を出せないから電話もまともにかけられない。情けなくて不安でした。が、「お腹も喉もこんなに痛いんだもんなぁ、しょうがないよなぁ」と達観したというか、痛みを前にして無力すぎるせいでヘタにあがく気にもならず、とにかく言われたことをやるしかない、とその一心でした。

一番の気がかりは当時小四だった息子のこと。真夜中に急に入院しちゃったきりママが帰ってこない。そりゃ不安ですよね。せっかくお見舞いに来てくれても死相が出ているし(夫の配慮で、いくらか顔色が戻ってから連れてきてはくれましたが)、喉が痛くてあまり話すこともできないし。

でも私にとっては、息子がかわいい声で「今日はね、学校でね」とおしゃべりしてくれること、夫から「ママは大変だからって、すごく健気に頑張ってるよ」と聞かされることが、生きる糧でした。不治の病じゃないんだから、そんな大げさなと今では思うんですが、「自分の口から食べ物を取り込めない状態」というのは、生きてる実感を持ちにくいものなんだなとあのとき初めて知りました。

まさに、誰かの力で「生かされてる」。「水も飲まないのに生きてられるんだなぁ」と医療のすごさとありがたさを心底実感しつつも、「食べないで生かされる」ことはやっぱりつらかったわけで。

その冬、東京にものすごい雪が降りました。息子は、夜中にパパと代々木公園まで行き、誰も居ない銀世界で遊びまくり、寒い寒い寒いっ!と、帰りにラーメンを食べて温まったそうです。

携帯に送られてきた息子のうれしそうな写真と、待合室の広い窓から見える真っ白い風景が、「雪が残るうちに退院したい!」と思わせてくれました。

結局、退院したのは2週間後。先生たちが「これが出たら安心」とおっしゃっていたガス(←おならねw)が出たときは、病棟で顔を合わせる全看護師さんから「出たんですってね!おめでとうございますっ!!」と祝福されました。なにしろ、「今日明日でガスが出なかったら手術を考えたほうがいいでしょう」と言われていたんです。「出ろ〜出ろ〜」とおなかをマッサージしたり、できる範囲で歩いたり、ツボを押しまくったり。「今日はおなら記念日だ」と夫に言われたのも今ではいい思い出です。

その後、入院中ずーっと鼻から通されていた管をようやく抜き取ることに。この喉の痛みから解放されるなら何でも耐えられる!と思っていましたが、傷んだ喉を麻酔なしで管が通過するときは本当に本・当・に、痛くて、「もういい、もうガマンとかしなくていい!」と心の中で何かがはじけ、うえーん!と声をあげて泣きましたよ。

看護師さんが「うんうん、痛かったね、痛かったよね」と背中をさすってくれました(マジ天使かと思った)。たぶん10歳以上年下のその人に、普段なら申し訳ないと思うでしょうが、そのときは「うん、痛かったの」と言わんばかりにそのままシクシクと泣き続けました。もちろん非常に痛かったのですが、それ以上に、管がはずれてやっぱりすごーくホッとしたんでしょうね。

入院期間の最後3日くらいは、食事も口にすることができました。流動食っていうのかな、なんだろう、あれは。赤ちゃんが初めて固形のものを口にするときみたいに、少しずつ少しずつ、液体から固体へと変わっていくんですね。最初はホント、3つあるお皿のすべてがほぼ液体。ごはん味の液体、おかず味の液体、みたいな。

薄味のスープでしたが、まさに身体にしみいる感覚でした。

でもね〜、その直前まで「何本かの管によって生かされていた」わけですから、「口から食べ物が入ってきた」というだけで、それはそれはおいしくて。「味わえる」ということに感動しましたね。

退院後の私が気をつけたこと

入院中、院内のコンビニでは「腸にいい」というキーワードの雑誌や本を買い込み、図書館では漫画本(←矢沢あいの「ご近所物語」とか置いてあってめちゃくちゃ助かった!)のほか健康系の本も借りまくり、退院後に何をどう食べたらいいか、考えていました。

退院前には専門家による食事指導の時間も設けてありました。腸閉塞の後は、とにかくよく噛むこと、噛まずに飲み込める麺類とかはしばらく食べないほうがいいこと、食物繊維が豊富だと思って生野菜やごぼうなどを食べ過ぎるのは逆効果であること、などなどを知りました(すべての人に当てはまる栄養指導ではないですよ〜)。

私はもともと少食で、でもすぐにお腹がすく体質です。家族から「ハムスターか!」と突っ込まれるくらい、ちょこちょこと何回も食べるほう。お行儀悪いよなぁと自分でも思っていたけれど、主治医に「いや、いいですよ。そういう食べ方のほうがあなたの胃腸にはきっと負担がかからないんです」と言われ、無理に修正するのはやめました。

そして、少食ではありますが、私は「食べる」という行為が大好きです。今書いているnoteもほとんど料理にまつわることだし、実際、日々の料理のためにけっこうな時間を費やしています。おいしいものを食べるために働いている、といってもいいかもしれません。

でも、さすがに退院直後は「何を食べたら腸にいいか」ばかりを考え、食べたいものではなく食べなきゃいけないものを探していた気がします。夫と息子には普通の食事、自分だけは煮野菜多め、と勝手に気を使って別々に用意していた時期もあります。

でも、楽しくなかったんですよね〜。続かないなこれは、と思いました。

そしてたどり着いた、ガマンしないための「アレ」頼み

そんなこんなを経まして。
今は結局「おいしいものを食べたいときに食べること」を重視しています。

というのも、腸閉塞騒動からちょうど一年が経った2018年の年末、いろいろ気をつけていたはずなのに、やっぱり前年と同じくらいのタイミングで便秘気味になり、胃が少し痛み始めたんです。今までなら放っておく程度の症状でしたが、「あんな痛みはもう二度と味わいたくない」と痛感していますから、もちろん放ってはおきませんでした。

まだ日赤に定期通院していたので早速その話をすると、「検査結果は順調なので今のところは大丈夫そうですよ。この季節になると腸が動きにくくなる体質なんだとご自身で理解して、上手に付き合っていけるとよいですね」と、付き合っていくために必要な薬を処方していただきました。「薬を飲んでも違和感が強いときはガマンしないですぐに受診してください」とのアドバイス付きで。

ほどなくして、定期的な経過観察のための通院も不要になりました。が、行きやすい近所のお医者さんからずっと薬をもらい続けられるよう、主治医は紹介状を書いてくれました。

丸4年経った今も、私はその薬を飲んでいます。

「薬に頼るなんて」と以前の私なら思っていたかもしれません。でも、ガマンしないための「アレ」というのが、そう、この薬たちなんです。

ひとつは便通をよくするマグネシウム。サプリメントみたいなものなので、これはきっと一生飲むことになるんじゃないかなと思っています。もうひとつは漢方薬「大建中湯」。これは、まさに今の時期、「ちょっと胃腸が動かなくなってるな」と思ったときだけ飲んでいます。

お守りみたいにたくさん処方してもらったけれど、飲むのはこの時期だけ。でも、これを飲むと明らかに調子が良くなるので、「食事制限をして日々ガマンするより、必要な薬を飲んだほうがいいんだな」と実感しています。

「薬なんて飲まなくても、運動と食事でなんとかならない?」と思う方はやはりいると思います。もちろん、運動は言うまでもなく重要です。代謝をあげ、腸の働きも活発にしてくれますから。私自身、6〜7年前に始めたピラティスをずーっと続けていて、普段の体調は決して悪くないのです。

食事については、いくら「食べたいものを食べたいときに」といっても、さすがに「毎日肉を食べたい」という欲求は生まれません。「今日はお肉三昧の日」があったとすれば、翌日は精進料理ばりに「煮物+茶粥」になったりします。「今日1日で何をどのくらい食べるか」ではなく、1週間単位でバランスを取るようになりました。

「肉てんこ盛り」のある日。

でも、それ以上の努力は課していません。それはガマンになっちゃうし、ガマンは続かないから。

手術をせずに腸閉塞を治してもらったこと。無理せず薬を飲んで、この時期の不調と付き合っていくこと。もちろん運動も食事もできる限り気をつけるけれど、ガマンはもうしません。

もうひとつ。「肉料理や脂っこいものが続いたからそろそろ淡泊なやつがいいな」と思っていても、夫や子どもにそれを強いるのは悪い気がして、以前は言わずにいました。腸閉塞を経てからは、「そろそろ和食がいいなぁ」と家族に言うようにしています。

すると息子は「茶粥が食べたい!(←ほうじ茶の茶粥が大好物)」といい、夫も「いいねぇ、煮物とたくあんで」と応じるのです。家族にとっても、そういう食事のバランスは決してガマンではなく、歓迎すべき選択肢なのだと知りました。そして、「茶粥と煮物とたくあん」の食卓はむしろとってもおいしくて、そういう感覚を家族で共有していると実感できることも幸せだと感じます。

この先も、大建中湯が必要になる日が年に何回かはあるんでしょう。それでいいんだろうなぁと思っています。

#我慢に代わる私の選択肢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?