見出し画像

真夜中の炭水化物|連載「記憶を食む」第3回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第3回は、ちょっぴり自堕落な生活を送っていたころの著者の、真夜中の楽しみ。少し「大人」になった自分との違いを考えながら。

 たまらないもの、足が太い犬の肉球。石油ストーブのにおい、牛乳石鹸の赤箱のもちもちの泡、朝焼け、喫茶店の手作りケーキ、ヨーロッパの古着。すごくたまらないもの、旅館に泊まったときの長い夜。夏に明るい時間から居酒屋で飲むビール、ライブが始まる瞬間の客電が消えたときに光るPA卓。日々の忙しさに負けて心身共に疲れていると、視界が狭まり勘も鈍ってくるが、思い出すだけで心臓が脈打つようなたまらないものが、わたしにはいくつもある。とりわけたまらないのは、深夜や明け方にカロリーの高いものを食べること。年齢とともに自分の身体を労ることを覚えた今は滅多にしないけれど、そういう記憶を引っ張り出すと、心が満ち満ちとしてくる。

 二十代の半ば、それはもう好き勝手生きていた。きちんと働いて生計を立てていたし、やることはやっていたけれど、それにしても好き放題の生活だった。読書に映画にライブにお酒に、体さえあいていればどこにでも飛んで行った。いまでは考えられないが、朝起きた瞬間に思い立って新幹線に乗って飲み会に参加しに行くような衝動性もあった。色んなライブハウスや喫茶店や酒場に顔を出して、朝も夜も気ままに動く。生活のなかに遊びがあるというより、遊びのなかに生活があるような感覚だった。終電を逃し、深夜にタクシーで帰ることも少なくない。そうなると健康的な生活が遠くなっていく。ある日ふらりと立ち寄ったバーで、初めて行ったその日に「ここで働かせてもらえませんか?」と直談判して週に一度バイトするようになってからは、生活のリズムがさらに崩れた。仕事が終わるのは夜中だった。

 そのバイトが終わって帰るとき、大体いつもお腹が空いていた。バーの店番自体はかなり自由だったので、接客の隙を見てコンビニで買ってきたパンを食べたり、暇なときはのんびりパスタを食べながら小説を読んだりしていた。でも、深夜一時まで働いていれば、やはりお腹は空く。そんなとき、わたしは帰り道の深夜まで営業しているラーメン屋に駆け込み、ラーメンと生ビールを注文した。「お疲れ様です」と言ってビールを渡してくれる店員さんに会釈しながら、ぐいぐい飲む。ラーメンにごまをかけて、静かに食べる。わたしは麺がうまく啜れない。でも、もさもさ食べるラーメンも美味しい。ビールもラーメンも、こんな夜中に食べたら更に身体に悪そうだな……とうっすら思うが、この時間というものがさらなる旨味の成分となっている。店内にはほとんど客はおらず、ましてや若い女性も自分だけということが多かったが、だからこそ深夜のラーメンは「自由の象徴」のように感じて、帰り道の身体は羽が生えたように軽かった。誰にも何も言われない自由さを満喫できたのが、わたしの二十代の大事な思い出だった。

 代謝が良いと考えるか、燃費が悪いと考えるかは別として、わたしはいつもお腹が空いていた。だから、深夜一時にラーメンを食べても、翌朝七時にはきっちりお腹が空いている。なかったことになっている。起きたら、食パンを焼いてコーヒーを飲んで、時間があればバナナ入りのヨーグルトを食べて次の仕事に出かけていた。眠いときも疲れているときも、食べていた。食べることの次に寝ることが好きなのに、わたしは寝付きが悪かった。一度寝ても、途中で起きてしまったらなかなか眠れず、気づいたら空が白んでいることも多かった。寝なくちゃと思うほどに焦って神経が昂ぶり、眠れない。そういうときは、何かを食べることにしていた。

 真夜中の三時や四時に、起きだしてトーストを焼き、バターをたっぷり塗って食べる。ピーナツバターでもいい。パスタを茹でて、レトルトのソースをかけて食べる。そういうときは、キッチンの灯りだけつけて、立って食べる。家に何もないときは、近くのコンビニまで行って、カリカリ梅か鶏五目のおにぎりを買うこともあった。満腹になったら、また歯を磨いてベッドに入る。食べてすぐ寝るのは胃腸には良くなかったと思うが、冷え性の身体がぽかぽかと温まって、すぐに眠れた。ぼやけていく意識の淵で、鳥が鳴く声や新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。タブレットから流しっぱなしにしている外国の映画の、知らない言葉がだんだん遠ざかっていく。うまく寝つけない自分は、少し変な方法でなんとか眠気を誘い出していた。

 一人暮らしの小さな部屋は、わたしの宇宙だった。いつ寝ても起きてもよく、好きな時間に出かけて帰ってもよく、誰にも何も言われることがない。青い花柄のカーテンと、白いラグと牛の置物、たくさん生けてある花が自分をまるっと認めてくれるような気持ちだった。つらいときや悲しいときに大泣きできるのもよかった。うれしいときだって泣いた。みっともなくても必要な時間だった。大きな音で音楽を聴いて、踊りまくった。いい文章が書けたら、身体が発光しているような気がした。わたしはあの部屋で、何度でも無敵な気持ちになって、前に進んできた。

 いまは身体を整えることに重きを置いているので、深夜にたくさん食べることはほぼない。夜出歩くことも少なくなったし、いつも自炊して暮らしているので、予備で買ってあるカップ麺にすらずっと手をつけられていない。大好きなパンや麺もたまにしか食べないくらい、食生活に慎重になっている自分がいる。でも、たまに夜中や明け方に起きたとき、ひとり暮らしのときのめちゃくちゃな食生活を思い出してはうっとりする。こってりしたラーメンも、バターをたっぷり塗ったパンも、自分から少し遠い存在になりつつある。それに、あんなに好き勝手食べても痛くならなかったお腹に、関心もする。先日朝の四時に目が覚めたときは、少し小腹が減って、思案した末に帰省のお土産の「博多通りもん」を食べて、ちょびっとだけコーヒーを入れた牛乳を飲み、歯を磨いてまた寝た。甘いものが脳をびびっと刺激して、お腹も満たされ、幸せな気持ちで鳥の声を聴いた。いまはこの量がちょうどいい、なんて思いながらきちんと二度寝した。

 昨年、知人がやっているポッドキャストにゲストとしてお邪魔した際、「大人になったと思ったとき」についての話になった。二十代の頃は、朝帰りしたときや一人で飲みに行ったときにそれを強く感じたものだが、そのときわたしが出した答えは「明日食べるキャベツの千切りを用意しているとき」だった。明日の胃腸に配慮するようになったとき、朝帰りやお酒よりもう一段超えた「大人」になった気がした。四十代、五十代になったときの答えもまた、変わっていくんだろうと思う。衰えや退化ではなく、それは進化なのだ。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は2月23日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?