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社食の日替わり|連載「記憶を食む」第12回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第12回は、会社員時代の日々を照らした、笑い転げる社食での時間を思い出します。

 自分の人生を振り返ったとき、総じて「運が良かった」と思うことが多い。例えば、交通事故に四回遭っているが死んでいないし、高校受験も大学受験も、滑り止めなしで一校だけ受験して合格できた。就職も、やりたいことがわからずに長い間ぐずぐずしていたが、なんとか一社受かり、新卒で入社した。その仕事は辞めてしまったが、いまは執筆の仕事をしている。かなりぎりぎりの綱を渡りながら、自分も周りもヒヤヒヤしながら様々な岐路に立ち、なんとかなってきた人生だった。もちろんそれなりに努力だってしてきたけれど、それにしたって「運が良かったな」と胸をなで下ろすことが多かった。

 そう、わたしにも会社員だった時期があった。新卒で女性用下着の会社に入社して、二年で辞めてしまったが、たった二年でも会社員として働いたことは良い経験だったと思う。週五日、毎朝起きて入念に化粧してヒールを履いて職場に行き、八時間かそれ以上働いて、くたくたになって帰ってきて……。基本的には接客だったので、理不尽なことや精神的にきついことも多く、肉体的な疲れもあいまってしんどい日々が続いた。休みの日は泥のように眠るだけで、仕事をするために生きているような生活だった。そんな風に過ごしていると、どうしても視野が狭くなってくる。仕事終わりに友だちと飲みに行ったり、たまには遊びに行ったりすることもあったけれど、疲れが常に重くのしかかり、楽しいことも楽しめない。朝、通勤の途中で買うカフェラテが美味しいとか、新宿駅でわざとぶつかってくるサラリーマンのシャツにわたしのリップがべったりついて「バーカ」と思ったとか、そんな小さなレベルの楽しみや笑いしかなかったように思う。

 そんな時期、職場に同年代の女性がやってきた。職場のあるテナントの同じフロアにはいくつかのブランドが店を構えていたので、自分の会社の人以外との関わりも深かった。Nさんというその人は他社の社員なのでライバル関係にあるのだが、とにかく明るくてよく笑い、ちょっと適当な人だった。仕事ができないわけではないが、地味に遅刻したり、友だちと朝帰りして寝ずに出勤してきたりとゆるいところが多々あり、真面目だった自分は「そういう人もいるんだ」と衝撃を受けた。でも、不思議と嫌な印象は受けなかった。職場に同年代が少なかったこともあってか、Nさんとわたしはすぐに打ち解けた。滝沢カレンによく似た彼女はギャルという感じの雰囲気で、華やかな印象の人であり、わたしとは違う。しかし、感じることや波長が似ているからか、とにかく話しやすかった。「昨日朝まで人狼やってたから眠すぎる~」とか言いながらふらふら出勤したり、LINEで「ちょっと遅刻するけど、裏で作業してたことにしといて!」と茶目っ気のこもったスタンプをつけてお願いしてきたり、「すっぴんで来ちゃったから試着室で眉毛描いてるわ」と言って消えていったり、なんだか学生みたいで笑えた。

 それまでは職場でずっと緊張していたわたしだったが、Nさんが来てから初めて楽しいと思えた。特に、同じタイミングで社員食堂に行けると、黙る暇もないくらいおしゃべりに花が咲いた。わたしたちはいつも日替わり定食を注文する。定食といっても生姜焼きや唐揚げだけでなく、パスタや酸辣湯麺など、バラエティに富んでいる。それらを、ときに咽せながら食べる。主に話すのは仕事のことやお客さんのことだったが、愚痴でさえ、Nさんと話せば笑い話になるのだった。体型に直結するものなので、下着の販売はデリケートな仕事でもある。それゆえ神経を使って接客することが多いのだが、どれだけ気を遣っていても相手の機嫌を損ねてしまうことはある。例えば、下着を探すために身体のサイズをメジャーで測って、ありのままの数字を伝えたことがあった。「バストが102cmです」とお客さんに言うと、「1メートルもあるってこと?そんなわけないだろ!」と怒って帰ってしまった。その後、Nさんにことの顛末を話して「帰っちまいました……」と言った。彼女は一瞬「え」と真顔になったあと、身体をよじらせて爆笑した。他人、それもお客さんを怒らせてしまったことに多少ショックを受けていたわたしだったが、Nさんが爆笑するのを見て、自分も噴き出してしまった。

 Nさんの笑い声は、でかかった。口を大きく開けて、上半身をのけぞらせて大笑いする。Nさんが笑うと、社食で目立った。何事かとみんなこっちを見る。一緒にいるとやや恥ずかしいが、わたしはその姿を見るといつもうれしくなった。顔を合わせると取り留めのないことを話し、休憩時間が合えば社員食堂でまた話し、覚えていないくらい些細なことでたくさん笑った。わたしが彼女に言われて一番うれしかったのは、「あんたと一緒にいると、笑いすぎて眉間にファンデが溜まるんだわ」という一言だった。実際に、いつも夕方頃になるとNさんの眉間には笑ったシワのせいでファンデーションが溜まっていた。その姿を見てまた爆笑した。

 早くに結婚していたNさんは、夫の転職を機に異動することになった。Nさんの異動はまさに寝耳に水で、話を聞いた瞬間「えっ」と固まってしまった。関東生まれのNさんだが、夫の地元の九州について行くという。そのときは自分の寂しさばかりが頭に浮かんだが、彼女はどんなにか心細かったことだろう。最終日は、社食で一緒に食べるのも最後だねなんて話しながら、結局は話に夢中で何を食べたか覚えていない。変にしんみりするわけでもなく、いつも通りの話をして、休憩終わりにはトイレで並んで歯磨きしてリップを塗り直して、また仕事に戻った。定時になって帰るときにNさんが、ひょいと手紙をくれた。そういえばさっき、仕事中の彼女が作業台で何かを必死に書いていた光景を思い出す。「仕事中に書いてたでしょ」と笑いながら受け取り、帰ったら読みますと言ってカバンにしまった。わたしはNさんにハンカチをプレゼントし、彼女はわたしにお菓子を渡してくれて、最後に「元気でね」と別れた。

 帰りに、通っていた飲み屋で手紙を開けた。お酒がビールと焼酎くらいしかない小さなその店は、なんだか落ち着くので仕事終わりに寄ることがあった。ビールを飲みながら手紙を読み進めていく。意外と達筆な字で走り書きされたその文章は、漢字の間違いや誤字が目立つものの、Nさんの明るい性格が飛び出してきそうだった。手紙には、わたしたちが社食でよく話していたくだらない愚痴や妄想や冗談がたくさん盛り込まれ、笑いを堪えるのが大変だった。ひとりでぼーっとお酒を飲みながら、明日からは社食も楽しくないなとため息をつく。ぼーっとしていたせいで、手紙の封筒に焼き鳥のタレをこぼしてしまった。シミの横には、ハートマークがついたわたしとNさんの苗字があった。

 ほどなくしてわたしは仕事を辞めた。いまだったら耐えられたり、解決できたりしたようなこともたくさんあったかもしれないけれど、若い自分には限界がきてしまったのだ。何でもひとりで抱えがちで、誰にも相談できないまま、せっかく入った会社を辞めてしまった。つらい気持ちを抱えたまま辞めてしまって、そのあとは人生で一番落ち込んでいたから、会社員だった時のことについてはしばらく、思い出すのもきつかった。でも、楽しかった思い出も確かにあった。あのときNさんからもらった手紙を久しぶりに読んで、毎日たくさん笑わせてもらったことに感謝の気持ちが湧き出す。もう会うこともないと思うけれど、彼女が手紙に書いていた「楽しかった」という言葉にいまも救われている。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は7月4日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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