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ぼくらはコワーキングを信じている:今日のアウトテイク#226(2024-07-01)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

※信頼こそ最大の宝。

#今日のBGM

#今日のコトバ

"あらゆる人を喜ばせることはできない。堂々と対象を絞ろう。"
(デレク・シヴァーズ『エニシング・ユー・ウォント』)

デレク・シヴァーズというのは、この有名なプレゼン「社会運動はどうやって起こすか」のこの方。

#3人とも、なぜか黄色い

いや、記事は全部読んではいないけれど、このOGPの写真が目を引いた。2009年に83歳で貧困の中亡くなったストリート・フォトグラファーVivian Maierさんの写真がとてもいい。

乳母で生計を立てながら、ときにその家の子供を連れて街を歩き周り、写真を撮ってた。彼女は自分のことを「一種のスパイです」と言ってたらしい。

2007年、彼女が家賃を滞納したために倉庫のロッカーから押収したネガ、プリント、コンタクトシート、未加工のロールフィルムのキャッシュを偶然手に入れなければ、Maierの秘密活動は曖昧なまま終わっていたかもしれない。

記事に掲載されている写真はどれもユニーク。プロフェッショナルという感じが全然しない。しないけれど、目の付け所がいい。ジーッと見てしまう。惹きつけられる。あー、こういうの、どっかで見たことあるなぁ、と。

これは、あとでちゃんと読んでおこう。

彼女の写真集は、2018年に出版されてる。

#ぼくらはコワーキングを信じている

今日、ちょっとオモシロイTweetを見つけた。

これを観て「返してほしいのなら5ドルで買って、と言えば最高だったのに」というコメントもあったけれど、ぼくはそれは違うと思った。彼(動画の左側の人)が言うようにほしくない人に売ろうとすること自体、間違ってる。

「あなたが要らないという物を私が売るわけないじゃないですか。お客様が要らないと言うなら私は絶対売りません」

そして、彼のお父さんは実にいいことを息子に教えている。

「物を売る前に売りたい物を信じろ」

これつまり、その商品がそのお客には必要であることが前提、てことだ。多くの人が勘違いしているけれど、ほしくない人に売りつけるのがセールスではない。

で、思った。

ペンとマーカーが違うように、コワーキングとシェアオフィスも違う。似ているけれども全然違う。だから、コワーキングを希望する人にシェアオフィスは勧められない。「物を売る前に売りたい物を信じろ」。ぼくらはコワーキングを信じている。だからコワーキングを必要とする人にコワーキングを勧める。

ここ、不動産業界は知ってか知らずか、コワーキングもシェアオフィスもゴッチャにしてる。その由来を知らないからだろうけれど、デスクと電源とWi-Fiさえあれば、なんでもコワーキングだと思っているフシがある。それがユーザーをミスリードする。言葉は大事。

ワークスペースを分け合って利用するのがシェアオフィスで、そこで重要なのは必ず仕事するための自分の席があるということ。コワーキングはそれだけではない。人との関わりが重要な要素。というか、「ヒト」のほうが大事。それと、その「ヒト」が起こす「コト」が大事。つまりコミュニティだ。

先月の「コワーキングカンファレンスJapan2024」のことはここに書いたが、

そこで、不動産業界の方からこんな質問があった。

コワーキングにはコミュニティが必須、とよく聞くけれど、うちはガッツリ作業だけに集中できるコワーキングが作りたい。
なので、コミュニティとか面倒くさいものは要らない。
コミュニティを作れば儲かるんですか?

それなら、コワーキングではなくてシェアオフィスをやればいい。たぶんゴッチャにしておられる。質問する相手も間違っている。

ただし、付け加えておくと、シェアオフィスは席数分しか売上は上がらないが、コワーキングはそれ以外にいくらでも収益モデルが考えられる。誤解を恐れず言えば、不動産業界はそこにまるで気づいていない。ハコしか見ていないから。これ、14年、その業界にいたぼくが言うのだからホントです。

ときどきカフーツにやってくるMさんはひとりカンパニーで、仕事には専らシェアオフィスを使っている。うちに来るのは、なにかイベントがあるときや、ブログジェリー(最近、サボってる)に参加するとき。そのMさんが、先日のゲリラ的に発生した「コワーキングキャンプ飯部」に参加して、しみじみと(たしかこう)言った。

コワーキングってこういう交流があるからいいですよね。

そうなのだ。コワーキングは仕事もするけれど、それだけではない。人と人をつなぐことがまず第一義としてある。そこからお互いに関わり代を持ち、手を貸したり借りたりしながらコトを前に進める、そういう仕組みであり、装置だ。席を貸すのが目的ではない。

キャンプ飯をワイワイ食べるのはそのいち手段であり、近況を確認し合ったり、意見交換したりして、自分と他者との関係と距離感を保つためにする。再三言うけれど、「食」ほど人を近づけるのにいいものはない。だからコワーキング曼荼羅にも入ってる。

以下、余談。

ところで、ぼくは20代の頃、とある楽器メーカーの営業マンだった。特約店の楽器店を回って自社の製品を営業する。でも、売り込みが嫌い、というかできなかった。店にもその客層によって売れるものが微妙に違う。「これは、この店には向いてない」と思うと、全然気が乗らない。だって、絶対売れないから。

一応、持っていっても「いや、これはあんまりよくないのでオススメしません。なので、お見せできません」とか平気で言ってた。逆に店の仕入れ担当者が「なんでやねん。あんた、営業マンやろ。見せろ」と言い出す。仕方なく、そうっと箱を開けて見せると、「あー、これはないな〜」。パタっと閉める。「せやから、言いましたやん」。「確かに。すまん」。

まあ、そんなことやってるからか、逆に、伊藤は自店に向かないものを無理やり売り込んだりしない、という信頼を得るようになった。もうそうなると仲間だ。これ、若い頃の数少ない、いや、唯一の自慢。

オススメする限りは自信を持って勧めたい。なんでも売ればいいわけではない。信頼関係を持つことのほうがよっぽど大事だと思う。それがいずれ効いてくる。いや、ほんま。

ということで、今日はこのへんで。


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