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してもらってるのに疲れを感じたら、それは自分がお膳立てしている

夫婦の家事分担や子供の手伝いなど、分担してるはずなのに、疲れを感じる人がいるのではないかと思う。私は大いにあった。

例えば夫に食器洗いをやってもらったところで、キッチンの管理を自分がしている場合"夫が洗い終わったらあれをしておこう"など意識が離れない。また相手が"やっつけ仕事してるな"と感じると、こちらがお膳立てして"家事をやる夫"を演出してる感覚になる。それに気付くと余計に疲れるので、私がする。そして夫の仕事は風呂洗いくらいになる。

私の誕生日にカレーを作ってもらった時も、何故かその日ヘトヘトになり、もう誕生日に何も作ってもらいたくないと思った。

何かの記事にあるように、"家事分担は多少不満があっても目をつぶって"なんておままごとみたいだし、夫側もバカにされてるように感じるのではないか?あと、人の話を聞くと意外と男性の方が家事得意なパターンもある!

それも結局は相手との関係性で、あまり疑いを持っていなければ任せられるし、自分よりも相手の方が仕事ができると思えたりする。また、様々な場面で相手が良く見えるように演出したり、分担の仕事を作ったり褒めたりして満足させ、むしろそれが楽しい時代もあった。

しかし、私はそれを長く続けて疲れ切ってしまった。つまり、自分で蒔いた種だ。勝手な話だし、ある意味相手も迷惑だ。

結局はお膳立て。その人に染みついているものではないから、余裕がなかったり、甘えたり、環境が変わったり、持ち上げてもらえないと人は放棄する。

それに対してガッカリすることにも疲れた。その時、これからは自分と、自分以外の沢山の人にエネルギーを使っていこうと思った。パートナーと生活すること自体、私には向いてないかもしれない。長い年月かけて気づく事が私は多すぎる、とつくづく思う。

一方、男性が女性に対してお膳立てすることで疲れることも大いにあるだろう。お互い、それを喜びに感じやすい人、冷めやすい人、疑いを持たない人もいるだろう。そもそも私は、小さい子供とゲームをする時など、手加減するのが怠くてつまらない。人を立てるタチではないかもしれない。親にしてもらってきた事に対し、感謝も沢山あるが、自分が情けなく感じたと思い返す事も多い。

現在13歳と17歳の娘達との関係性のために、疲れる膳立てをしないよう気をつけている。自分がこだわらないことを任せるようにしているし、そもそも要らないこだわりも減ってきた。信用していれば感じ方も変わる。自分だって何か娘にお膳立てしてもらってるかもしれない。

お膳立てと言うと、言い方が悪いし上から目線にも思える。現在関わってる人達、今後出会う人達と、そういう違和感を感じない付き合いができるよう、今までの反省と自分の感覚を大切にしたい。


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