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夢見る人は輝かしい|短編小説

 ただ目の前で時間が過ぎるのを待つだけになっている自分に気付く。どうにかしなければ、とその度思うけれど、時間が過ぎればいつの間にか忘れて、そうしてまた思い出す。そのたびに削れる自己肯定感を見てみぬふりして、そのくせ正当化する作業ばかりがうまくなっていくのだから、こうして身勝手な人間が出来ていくのだというお手本のような日々だった。

 とても仲の良い友達がいた。友達には夢があって、そのために努力をして、今も努力を続けている。ずっとずっと努力をしている。私はその理解者として友達の語る夢に共感して、努力の報われない日々に同情して、夢を目指している最中に理不尽な目に遭ったと聞けば友達以上に憤って慰めて、友達として応援し続けた。今もしている。これからも、理解ある友達として応援を続けていく。そうありたい。そうありたいと願って、理性の存在を確認して、己の行動を客観的に監視しながら律していかねばならないようになったのは、最近だった。
 友達は努力を続けている。何年も何年も、コツコツ、報われるかどうかもわからない努力を続けている。才能が問われる世界で何の保証もないのに戦い続けている。実力主義の世界で、己の腕一本で戦うしかない状況で、戦い続けてしまっている。私は何もないまま、ただただ時間が過ぎてしまったのに、友達は何かを確実に積み重ね、そうして光明を掴もうとあがいている。夢を目指してがんばっている。その姿そのものが妬み嫉みの対象になるのだと、私は今ようやく理解した。
 友達が受けた理不尽の中に、「夢があっていいよね」という言葉があった。どれだけ作品を作っても報われず、お金も得られず、心身ともに削り続けている日々を、「でも夢があるんだからいいでしょう?」と、それだけで切って捨てられたことがあったのだ。それで、話の一つも聞いてもらえずに、相手の愚痴だけ背負わされて帰ってきた。夢を追いかけるのだってタダではない、吐き出したい言葉の一つや二つある。それに、その言葉はなんだか、夢を追いかけること自体をどこか否定していた。うとましく思っていた。それにいたく落ち込んだ友達を慰めた。だから私は、己の中で共感が芽生えるのを終ぞ口にすることが出来なかったのだった。

 努力できることも才能だと、物語の中でよく見かける。凡人キャラにかける台詞トップスリーに入るだろう。馬鹿の一つ覚えのように、よく見かけた。それが、ようやく、本当に難しいことなのだと、私は遠くなった友達の背を見つめながら実感する。次に会ったとき、私は、正しく友達に言葉をかけてやれるだろうか。

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手直し前初出 ツイッター/20200717
この作品は(pixiv/小説家になろう/アルファポリス/カクヨム)にも掲載しています。

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