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【短編】ふたりの映画監督 

映画について

 子どもの頃から飽きるほど映画を観ている。それでも、飽きないのは何故だろうか。実はもうウンザリしているのに、本人が気づいていないということなどあり得るだろうか。気づいてないのではなく、そのつどすでに忘れているだけなのかもしれない。

 別に映画だけの話ではなくて、ある外国文学のアンソロジーにキャリア何十年の翻訳者が後書きを寄せて、小説に心をかき乱され、目眩や動悸を感じることにいつまでも経っても慣れることはないと書いているのは、どうにも胡散臭いと思った。いや、自分の尺度で人を測るべきではなく、もしかしたらとても感受性豊かな方なのかもしれないが。

 たとえば、平々凡々たるミステリ映画を観る。旅先の異国で恋人だか友人だか、大切な人が失踪する。失踪時の記憶は、アルコールかドラッグで失われているので、警察に相手にされず自分で手がかりを探す。失踪者は何かトラブルに巻き込まれていたようだ。誰かに尾行されている。協力者が現れるが、本当に味方かどうかわからない。失踪者が遺体で見つかると、今度は重要参考人として警察に追われることになる。罠に嵌められたのだ……。

 とくに面白くないけれど、失踪者がどこに行ったのか、連れ去られたのか、誰につけられているのか、協力者は味方なのか、誰が殺したのか、遺体は本物か、犯人は警察内部にいるのではないか、などのミステリがあり、ついつい観てしまう。そして見終わって、こりゃ平々凡々たる出来だなあと改めて思う。

 スタッフはプロフェッショナルである。監督、脚本、原作者は、みんな努力して夢を叶えた人たちだろうし、キャストだって主演クラスなら、「あー、役者になんてなりたくなかったよ」とか「はー、夢破れて役者」とか「どーせ、役者なんて」などとは考えていないはずだ。それでいてこの凡庸さかと思うと、腹が立つどころか、ちょっと心慰む気がしないでもない。自らの凡庸さと折り合いをつけていることになるのか。

一人目

 地元で朝まで営業しているバーで酒を呑んでいて、同年輩のほっそりとした女性と意気投合した。十年ほど前であるし、終電過ぎの時刻でしたたかに酔っていたのだから、何の話題で盛り上がったかまでは覚えていない。

「この方は映画監督なんですよ。カンヌでグランプリを獲った」と、手の空いたマスターが改めて紹介してくれた。

 いやあ、驚いたね。海外の映画祭で評価の高い女性監督で思い当たるのはひとりだけである。申し訳ないことに一本も観たことがなかったし、お顔も定かではないけれど、長髪ですらりと背筋の伸びた印象で、何よりも同年輩である。邦画界の世界的な女神が俺の地元に降臨か、とドギマギしてきた。

 しかし、違うと言う。どうもおかしいな、カンヌ・グランプリの女性監督なら、あの方しかいないではないか。マスターは嘘をつくような人ではないし、怪しげな噂を流したりすることもない。そうか、私が無知なだけに相違ない。近頃、映画に対する興味が薄れてきたし、情報にも疎くなってしまった。

 ところが、映画のタイトルを言われて、さらに驚いたね。その作品はグランプリではなく、パルムドールではないかとツッコんだりはしなかった。そこではない(しかし、業界人ならもちろん、映画好きならその違いを知っているはずだ)。その監督は男性であるし、世代も違う、すでにお亡くなりになったあの巨匠ではないか。

 十年前の酔った上でのことであるから、ちょっと怪しいけれど、覚えている限り正確に彼女の話した事を記しておく(だから、エッセイではなく、短編とした)。当時、監督はご高齢且つ持病もあり、体力・気力が衰えているばかりか、控え目に言うと、頭脳明晰でもなかったが、製作会社としては巨匠の名前は外せない。そこで脚本にも参加した彼女が演出を担当することになったと言う。

「補佐みたいな感じですかね」
「いえ、わたしが車椅子の巨匠に代わってすべて演出しました」

 初対面の人にペラペラ話すような内容かはともかく、そんなことがあったのか、そんなこともあるものなのか、と素直に驚いたものの、あとになって調べてみると、解せないことに助監督にも脚本にも女性の名前はクレジットされていないのである。その映画は実は未だに観ていないし、それ以来彼女の姿も見かけない。

 名前ぐらい聞いておけば良かったか、と思わないでもない。


二人目

 行きつけの焼き鳥屋にカントクと呼ばれている常連がいた。これもまた十年以上昔の話である。スタイルから入るタイプなのか、ベレー帽だかハンチングにチョビ髭と眼鏡、やはり同年輩。炭火の煙で汚れた壁に真新しい彼の監督デビュー作のポスターが貼ってあった(今は剥がされた)。誰もが知るアイドル的な女優と男優の学生服姿、学園モノか、それともヤンキーモノか。

 かつて私は相当の映画少年であって、映画の専門学校か四年制の大学に進むか進路について思い悩み、結局四年制の芸術学部映画学科を受験し落第したのであった(その年、芸術学部では裏口入学が問題となった)。しかし、率直に言うと、その作品には何の興味も持てなかったし、とくに映画監督と知り合いになりたいとも思わなかったようである。言葉を交わした記憶もない。

 そういえば、その焼き鳥屋には有名なアングラ劇団の主催者が団員を連れてよく呑みに来たし、伝説的な映画監督(故人)も常連で、彼の新作が、というかその主演女優がヴェネチア映画祭で主演女優賞を受賞したというニュースを、私は当の監督のすぐそばで観ていたものだった。そのときは、店中お祭り騒ぎになったものである。

 ところで、長い下積みを経てのカントクのデビュー作、例の学園モノ(観ていないので推定である)はまったく当たらず、業界では一度監督になってしまうと、助監督には戻れないのが通例らしく(情け容赦ないシステムだが、後進に道を譲らねばならぬのだろう)、第二作目が発表されることもなく、彼は消えた。いや、業界から、東京から消えたという意味ではなく、焼き鳥屋から、私の視界から消えたというほどのことである。

 それからまた歳月が流れ、ある夜、近所の小料理屋(防災不燃化促進事業による区画整理で数年前に閉店してしまった)に寄ると、ハンチングにチョビ髭の同年輩の男がカウンターで呑んでいるではないか。

 ひとつ空けて座ると、聞くともなしに女将さんとカントク(一見の客ではないらしい)のヒソヒソ話から、泣かず飛ばずのここ数年間の明るくない状況が切れ切れに伝わってくる。バイト……実家……借金……臥薪嘗胆……。いや、嘘だ、私は聞き耳を立てていた。

「失礼ですけど、あの学園モノ映画の監督の方ではないですか?」
「ご覧になりましたか。ありがとうございます!」
「いえ、私は観てないですが」

 カントクの笑顔がたちまち曇った。そういえば、この界隈では呑み屋つながりで、誰も彼もが当たり前のようにあの作品を観ていたのだったし、それはあの焼き鳥屋の人気者のマスターが出演していたからかもしれなかった。

「是非ご覧になって下さいよ」
「うーん、たぶん観ないですね」

 傷つけないように嘘をついても、嘘がバレれば余計に傷つけることになる。だから、私は嘘はつかないし、わざとらしい社交辞令を口にしないことをポリシーとしていた。

「なんでですか?」
「だってそりゃ、映画史に残る名作やエポックメイキングな傑作、知る人ぞ知るカルト作でも、まだまだ観ていないものがたくさんありますし。それに好きな監督の新作、話題作、問題作、受賞作も次から次へと公開されるから、評価もされずヒットもしていない、そもそも興味のない作品を観ているお金も時間も勿体ないじゃないですか」
「でも、観ていないのに興味がないなんて言い切れますか…… 」
「興味があるからこそ、人は映画を観るものでしょう。邦画界でも、今までの撮影所の古いシステムとは全然別のアカデミックなところから、どんどん興味深い新星が出てきて、世代交代が進んでますね……」
「そんな……でも……じゃあ……」

 ボタっと涙が落ちた。これまでの人生で見たこともないぐらいの大粒の涙だった。あまりにも彼が哀しそうだったので、このとき以来、嘘をつかず、社交辞令を言わないというポリシーを捨てたほどである。カントクはうつむき、眼鏡をとって手の甲で涙を拭い、女将はこちらを睨みつける。「ダメじゃない」と音を出さずに、唇が動いた。

「えーーーっと」
 慰める言葉が思いつかない。傷つけるつもりなんてなかったし、いくら何でも感情的な反応だと思うけれど、なんだろう、何者でもない自分が無意識のうちにカントクに嫉妬していて、彼の苦境に喜びを感じ、それでちょっとばかし図に乗って意地悪を言ったということはないだろうか。いわゆるシャーデンフロイデというヤツだ。そうだ、私という人間が夢に向かって努力するということは、決してしなかった。映画学科に落ちて留年すると、裏口入試問題があって嫌になったということもあるけれど、ずっと偏差値の高い大学の経済学部に入り、普通に就職した。

 そういえば、学生時代の映画サークルのある先輩は一部上場企業を辞めて、アルバイトをしながら劇団員をしていたし(コマーシャルに出ているのを見つけた時は心底驚いたね。それも大昔の話だけれど)、同輩からも、仕事を辞めてシナリオスクールに通い、一本だけ映画の脚本を書き、その後はローカル局の深夜枠で30分ドラマの脚本を書いていると連絡があった。今(これを書いている今)気になって検索してみると、ふたりの名前は一応ヒットするけれど、情報が古くて最近は全然活躍していないことは明らかである。夢破れたのかもしれぬ。

 それだけではなく、別の友人は自主映画を製作し(私もチラリと出た)、ぴあフィルムフェスティバルで入賞したし、そこまで行かずとも8ミリで映画を撮ったり、シナリオを書いたりする輩はいくらでもいた。成人映画の助監督(という名の雑用)を務める友人に撮影現場を見学させてもらって、そこのあまりのハラスメントぶりにひいてしまったことがある。それでも、彼は歯を食いしばって耐えていた。私はといえば、通行人のエキストラ出演のみである。

 そう、私という人間は、夢に向かって努力したことがない。学生時代にもシナリオを書かず、カメラを回さず、芝居もほとんどせずに、酒に溺れ女の子のお尻を追いかけ回していた。今ではせいぜい映画レビューサイトで誰も読まない辛口で衒学的且つマニアックな批評を長々と書いているだけのおっさんである。だから、努力している人たちが眩しく、だからこそ、彼らが苦境にあるとき後ろめたい満足感をそこはかとなく感じているのではないのか……。

 いや、まさかね。誰がどう見ても先輩は役者で食っていけるほど見目麗しくなかったし、同輩には「てにをは」レベルで文才がないことは一目瞭然だったし(彼に脚本を任せたプロデューサーの顔が見てみたい、まだ業界に生き残っていればの話だけど)、ぴあフィルムフェスティバルの彼だって、しょせんは万年入選レベルでしかない。そうそう、成人映画など流行らぬから、製作会社もとっくの昔に倒産した。そう考え直してみると、なんとも痛ましい、同情すべき人たちなのかもしれない。嫉妬もなければ、シャーデンフロイデもあるわけがない。

「えーーーっと」と私は続けた。「なんというか、そのーーー元気だして」
 肩に手を置いても、無下に振り払われるようなこともなく、胸を撫で下ろす。
「……このままではダメだとわかってます。だから、ぼくは今脚本を書いてます」
「がんばれ!」
 夢に向かってがんばったことのないこの私が口にしてもまるで説得力がないし、そもそも全然似つかわしくない言葉であった。まあ単なる気休めである。

「いつか、きっと第二作を撮ってくださいね。そのときは絶対に観にいきますから!」
「ありがとう、ありがとう」

 その夜以来、カントクの姿は私の視界から消えたけれど、大粒の涙とともに記憶にはしかと残っている。とにかく、色々と学ぶことがあった。今後、私から賞賛や共感、励ましの言葉を寄せられる人は、素直に受け取らず、リップサービスだと割り切り、こいつも成長したのだと思ってほしいものである。

 ところで、昨日、私が辛口で衒学的且つマニアックな、誰も読まない映画批評を長々と書いている例の映画レビューサイトのタイムラインに、フォローしているユーザーの見たことも聞いたこともないような邦画のレビューが上がってきて、観てもいない作品の他人の感想などに興味もないのだけれど、それがなんとあのカントクの新作なのであった。

 がんばってるんだ……。

 デビュー作から十数年ぶりの念願の第二作である。数年前に都内のミニシアターで公開され、DVDにもなっているし、検索するとインタビューも読める。残念ながらレビュー数はそんなに多くないけれど、評価は上々ではないか。

 内容は……なになに、いじめ、DV、性的虐待、ネグレクト、貧困、ギャンブル依存にアルコール依存……とな。ごめん、やっぱ興味ないわ。

(了)

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