見出し画像

【掌編】孤独の王国

 聞くところによると、英国には孤独担当国務大臣なる役職があって、驚いたことに高齢者の孤独対策を行なっているという。そのうち孤独省でもできるんじゃないのか。まったくおめでたいことだ。私の孤独は相当年季が入っていて、もはや孤独症といえるほどだが、行政によるケアなど受けたことがないし、今後受ける予定もない。

 調べてみると、なんと我が国にも内閣官房に孤独・孤立対策室というものがあるではないか(孤立した総理大臣でも慰める部屋なのだろうか)。「あなたはひとりじゃない」とホームページに謳っているが、「冗談じゃない、わしゃひとりじゃ」と声を大にして言いたい。

 何せ生まれた時から(一人でに生まれたのではないかと疑いたくなるが、さすがにそんなわけなかろう)ずっと孤独なものだから、死ぬときも孤独であると決まっているわけで、今更、友達だの交流だの、しゃらくさい。想像を絶するような孤独な最期こそ、私に相応しい。

 そういえば、近頃街中で孤独な老人を見かけるようになった。たとえば、公園のベンチで日がな一日ハトにエサをやってるような人がいれば、お店で迷惑も顧みずやたら店員に話しかけている人もいる。スーパーのレジで後ろに長い行列ができているのにかまわず、パートと世間話をしようとする迷惑極まりない老人を見るにつけ、哀れを催す。やたらクレームをつけたがるのも、ある意味で孤独の裏返しではないのかね。子どもたちが次々と巣立ち、配偶者を失い、友だちとは音信不通になったりして一人きり。寂しかろう、人恋しかろう。いや、ざまあみろ、だ。

 私にはそもそも配偶者はいなかったし、であるからして当然子どももいなかったし、友だちもいなかった。親すら存在しないも同然だった。もし孤独の王国なんてものがこの世に存在したなら、間違いなく私こそが国王であろう。ただし国民は一人もいない。だから、孤独国の王者を堂々と名乗っても問題ないのだが、しかし一体誰に向かってそうすれば良いものなのか。

 決まっている、自分に向かってである、他に誰もいない。長い長い間、あまりにも一人きりで過ごしてきた結果、私は自分自身に語りかけるようになったのである。そう、ちょうど今そうしているみたいに。

「ああ、孤独じゃ……」あまりの孤独についそう独りごちたとき、そいつが、つまりもう一人の私が現れたのだ。とうとう孤独の王国に住民が誕生したわけである。
 もう一人の私には実体がなくて、ただ頭の中に奴の言葉が響いてくるのだった。
「まあ、あんたはそんなに言うほど孤独じゃないと思うがねえ」
「いや、孤独じゃ、誰が何と言おうと断然孤独、圧倒的なまでに孤独なんじゃ」
「いや、わしの方が孤独だがね」
「生意気を言うもんでない。あんたがわしなら、少なくとも孤独の分量は同じということになるからのう」
「もしあんたが孤独なんだとしたら、そんなあんたに何十年間もずーっと気づいてもらえなかったもう一人のあんたであるわしは、孤独の二乗となる計算じゃ。わしの孤独は言わば指数関数的にいや増すんだのう。それに比べて、あんたにはわしがついとるわけだから、あんたの孤独は、言わば底aが0<a<1の対数関数的に減ってゆくわけじゃな」
 うわ、なんだかすごく面倒くさいことになってきた。
「何を言う、わしは孤独の国の王様じゃぞ!」
「あんたが王なら、わしゃ皇帝じゃ!」
「あんたなあ、頼むから……そろそろ一人にしてくれないか」

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?