見出し画像

【掌編】カミングアウト!

 こんな時代、こんな時期にアレなんだが、カミングアウトしようかと思う。いや君、私のセクシャリティの話だよ、当然。

 実は、私は女が好きだ。根っからの女好き、三度の飯より女が好き、女好きにかけては誰にも負けない自信がある。誇りを持って女好きだと言えるのである。

 しかし、女だったら何でも良いというワケではない。やはり若さが重要だ。ただし、若いだけでは十分じゃない。美女で、スタイルが良くて、いわゆるボン・キュッ・ボンがタイプである。はい、ルッキズムですが、何か?

「いい女を抱くためにだけ、私は大金持ちになった」

「オレは死ぬまで美女を抱く!」

 私の座右の銘は、心の師匠と言える人物の著作のキャッチコピーである。師は、美女6000人に30億貢いでこられたというのだから、格がちがう。そして、額がちがう。何、カモにされてるだけだって? そんなことは30億稼いでから、いや、貢いでから言い給え。師匠はね、モデルに貴金属6000万円相当を盗まれたときも、そんなはした金は紙屑同然と豪語されたものだ。もはやスケールがちがう。

 残念ながら敬愛する師はお亡くなりになったが、その遺志を継ぐため、師のニックネームに因んで、私は「地方のカサノバ」と自称することにしている。さっぱり定着していないが。誰だね、痴呆のカサノバとか言う人は? 失礼しちゃうな、ホントに。

 本家にはとても及ばないが、私も美女には金を惜しまない。なぜなら、いくら女好きだからといって、女がこちらを好きになってくれるとは限らないからである。もはや年老いて若い女には見向きもされないが、実は若い頃にも見向きもされなかったものだ。だから、本当はある意味では女を憎んでいるのかもしれないが、札束を切って言いなりにすることがこの上もない快感なのである。思えば、買う、買う、買うの人生であったことよ。

 それにしても、良い時代になったものだ。出会い系サイト、援助交際、パパ活……。まあ、呼び方やテクノロジーは変わっても、やってることは昔から変わらない。

 そんなわけで老いてますます盛んな私のラブ・ライフなのである。

 ところがである、先日、私のプレゼントしたブランド物で着飾ったシュガーベイビーと繁華街を歩いていると、耳元で「このヒヒ爺い」という罵りがたしかに聞こえたのである。若い女の声だった。振り返ってもそれらしい姿が見えないので、そのときは空耳かと思ったものだ。

 また別のシュガーベイビーと(言い忘れたが、カミングアウトしておこう、私はポリセクシャルである、言うまでもなく)高級ワインに舌鼓を打っていると、今度は「親というより、もはや孫の年齢じゃないの、気色悪い」という言葉が聞こえた。フレンチ・レストランで交わされる上品な会話の中で、いきなり下卑たセリフが響いたのである、またもや若い女の声で。誰が言ったのか、見回しても熟年マダムばかりで、若い女はいない(私のシュガーベイビー以外には)。ひょっとしてテレパシー?

 それからというもの、街中で書斎でホテルの一室で、ふとした瞬間に幻聴が聞こえてくるようになったのである。「見るのもイヤ」「隣に住んでるのもイヤ」「子どもをつくれない年寄りは生産性がない」などなどと。若い娘相手にマンスプレイニングの自慢話をしていると、「老人はいくらでも嘘をつけますから」とか。

 いやいやいや、これって年齢差別じゃないのかね、年寄りヘイトじゃないのかね、性的マジョリティに対する偏見ではないのかね。

 私はこう見えてもね、長い人生でただの一度も人を差別したことがないのだよ。いや、LG……なんたら、というのはよくわからないし、目に入らないし、そもそも興味もないわけで。それに根っからの女好きなんだから、好きなモノを差別するわけなかろう。「女性は産む機械」なんて発言した大臣が昔いたけど、許し難い差別発言だね。美しい女性は欲望の捌け口になるし、そうでないのは掃除・洗濯・炊事に立派に役立つじゃないか。機械だなんてとんでもない、私は女性をリスペクトしているよ。

 それなのに、若い女の子たちは心の中で(それとも、心の中の若い女の子たちは?)私に悪態をつくことを止めようとしない。貢げども、貢げども、蔑まれているような気がしてくる今日この頃なのである……。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?