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【短編】トリオ ある供述

 さてと、どこから話しましょうか。最初から? 最初ってどこでしょうか。最初の記憶からということ? それとも、ぼくが生まれてから? ひょとすると生まれるずっと以前から? 一体どこまで遡れば、この事件の背景と原因を説明することができるのでしょうか。

 そうですね、ぼくたちは幼馴染みでした。家が近所だったんです。幼稚園から小学校、中学校までずっと一緒です。端からは、仲良し三人組に見えたかもしれないです。でも、もちろん、本当は仲良し三人組なんかではなかったですね。かなり歪な関係だったのです。もし、本当に友情で結ばれていたら、あんな事件は起こらなかったでしょう。いや、タケシくんがあんな惨たらしい事件を起こすことはなかったと思います。

 いじめというわけではありませんでした。繰り返しになるけれど、表面上ぼくらは、ぼくとタケシくんとヨースケくんは友だちに見えたんじゃないかな。でも、公園の砂場かどこかで出会ったその日から力関係がカチッと固定されて、それがおよそ十年間ずっと続いたんです、あの事件が起きるまで、いや、タケシくんが事件を起こすまで。この十年というのは長い、長い、恐ろしく長い、ぼくたちにとって永遠にも等しいような期間でした。不動のものと思われたパワーバランスはいまや呆気なく潰えてしまいましたが、それでもその十年間が毎日毎日永遠のように感じられたのは確かですし、この先も未来永劫続くのだと信じ込んでいたのです、永遠にも等しい十年もの間ずっと。

 もう一度言います。いじめではありませんでした。ヨースケくんは、自分が親分で他の二人(ぼくとタケシくん)のことを子分ぐらいには思っていたでしょうが、こういう関係って、舎弟関係というのですか、大人にもあることでしょう? あ、そんなこと言ったら、大人の間にもいじめはあるか。それとも、ハラスメントと呼ぶべきでしょうか。

 ぼくのパパも家では威張り散らしているくせに、ケータイに偉い人から電話がかかってくると、上司か取引先かはわかりませんけど、相手の姿が見えないのに、何度もペコペコ頭を下げたりして、卑屈なのはひょっとしたら遺伝なのかな、なんて思ったりして。舎弟体質というのも、この非情な弱肉強食ワールドをサバイブするための適応なのかもしれません(ぼくの生まれる前から、と言ったのはこういう次第です)。

 とにかくヨースケくんは図体がデカく、態度もデカく、粗暴でキレると手に負えないところがありました。腫れ物を扱うように慎重に接しないと、ブチ切れるんです。ブチ切れると、物に当たって壊したり、わーって机や椅子、刃の出たカッターなんかを投げつけてくるのです。そうすると、「ごめん、ごめんよお、ヨースケくん」とぼくらは平謝りに謝る他為すすべもありません。時には、強制されるのでなく、自ら進んで土下座したものです。

 色が黒くてカクカクゴツゴツしているヨースケくんとは反対に、タケシくんは白くてぽちゃっとして、少しのろまでグズなところがあって、それが人をイライラさせるのかもしれません。虫も殺さぬというのか、暴力的なところなど微塵もなくて、本来は争い事を好まぬおっとりした性格なんですけど、のんびりするためのありとあらゆる機会は、ヨースケくんに奪われてしまうのでした。それは、そばに来るだけでこちらの心拍数が上がってくるようなヨースケくんでしたから。

 出世欲や権力意志をあらかじめ放棄したかのようなタケシくんの生き方も、なるほど競争社会に於ける一種の生存戦略かなと思わないでもありません。でも、欲しいものがあれば力ずくで奪うというのもやはり力がある者の立派な生存戦略であって、そういう捕食者の目に留まり一度ターゲットにされてしまうと、もう逃れられないんですね。生かさず、殺さずで一生サクシュされ続けるしかない。

 映画にモンタージュという技法があるでしょう。ほら、アスリートのトレーニングシーンやビギナーが訓練を受けてプロフェッショナルになる過程を、短いショットで繋いであたかも長い時間が過ぎたかのように見せる技法です。勇ましいテーマ曲なんか流して。これが供述ではなくて映画なら、ぼくたちの永遠にも思える十年間、生かさず殺さず搾取され続けた十年間を、モンタージュの技法を使って短時間で説明することができるのですけど。もちろん、テーマ曲は悲痛なものにして欲しいですね。

 たとえば、いつから始まった習慣なのか、ヨースケくんは毎朝挨拶代りにぼくたち(タケシくんとぼく)の頭をバシッとはたく。分厚い掌を使って、手加減なしに元気よく「オッス!」と、ぼくたちの育ち盛り脳に衝撃を加えます。親愛の情がこもっていないと言えないこともないですけど、それでも痛いは痛いです。頭だけではなく、心も痛いです。もちろん、ぼくたちがそんな風に挨拶を返すことは許されませんでした。

 それから、後ろから忍び寄ってきていきなり「よお!」って、ヘッドロックをかける。首が絞まると、「グエエッ」と声が漏れますよ。これも毎日のことで、ヨースケくんがいると常にストレスを感じるのだけど、いなければいないで常に背後に気をつけていなければならないわけだから、疲れます。それにヨースケくんは、気配を消すのがとても巧いんです。これは生得的なものではなく、毎日の訓練の賜物だと考えられます。

 そうは言っても、ヨースケくんは親分肌なところがあるので、時には気前よくお菓子やジュースを奢ってくれることもありました。ただ、そのお金の出所が、ぼくたちから巻き上げた小遣だったというだけです。誤解しないで下さいね、ヨースケくんがぼくたちからこっそり盗んだわけでも、力ずくで強奪したわけでもありません。ぼくたちは、お金がなくて困っている友だちに貸しただけですから。もっとも決して返ってきませんでしたが。

 ヨースケくんは、ちょっと可哀想な境遇なんです。パパがいなくて、陽の当たらない路地裏のボロアパートでママと二人暮らし。夜になってママが暑化粧して働きに出てしまうと、一人っ子のヨースケくんはいつもひとりぼっちです。お年玉をくれるお爺ちゃんもお婆ちゃんも親戚もいなくて、たまに知らない大人の男の人が生活に加わることもあるけど、長続きせず、また別の人に替わったり。でも、外で遊んでろって小遣いをくれることもあったみたいです。

 一方、タケシくんは良いところボンだから、緑に輝く芝生の庭と燦々と日の射す広々としたルーフバルコニーがある高台の豪邸に暮らしていて、自分の部屋があるんです。格差社会ですよね。若くてきれいな女の人がジュースを出してくれて、びっくりしたら、「ママじゃないよ、お手伝いさん」と言うので、さらにびっくりしたものです。世の中って、不公平なものですね。たぶん、ヨースケくんはタケシくんに嫉妬していたし、タケシくんはヨースケくんに後ろめたさを感じていたんじゃないかなと思います。

 そうそう、モンタージュなら、Nゲージ事件に触れなくては。タケシくんの大切な大切な宝物、素晴らしく精巧な150分の1の鉄道模型ジオラマです。奥深い緑の山があって、目の覚めるような青い列車はトンネルを抜け、赤い鉄橋を渡り、やがて街中のターミナル駅へと至る。楕円を描く軌道は子ども部屋(たぶんヨースケくんのアパートの総坪数より広い)いっぱいの大きさがあり、見ていて飽きることがありません。これには、さすがのぼくも冷静さを保てませんでした。ヨースケくんも興奮を隠せませんでした。ところが、何を思ったのか「よし、怪獣ごっこしようぜ!」とポリ塩化ビニルの怪獣のおもちゃを取り出すと、「ガォーッ!」とか叫びながら、ジオラマを破壊し始めたのでした。瞬く間にトンネルが崩れ、橋が落ち、ビルは破壊され、列車は踏み潰されてしまいました。どうせ自分の手に入らないのならば(あの木造アパートの狭くて散らかった部屋には入り切らないに決まってます)、せめて自らの手で葬り去りたいと思ったのではないでしょうか。タケシくんのつぶらな瞳いっぱいに涙が溢れそうに湧き出してきましたが、辛うじて零れることはありませんでした。そんなことになったら、ヨースケくんが「文句あんのかよ!」とブチ切れて暴れるから大変です。ちなみに、怪獣の人形はぼくのモノでした。

 Nゲージ事件は象徴的です。一番高価というだけでなく、一番大切なものが奪われてしまったからです。メンコやカードゲーム、バットやラジコンカーとはまるで格が違います。

 そうです、もうずっと以前から、タケシくんを慰めるのが、ぼくの役割になっていました。もちろん、ヨースケくんの姿が見えない時に限ってですから、油断なりません。常に背後を警戒しながらです。「小学校へ上がれば、離れ離れになるよー」と言いましたが、三人とも近所なので同じ小学校へ通い、「クラス替えがあれば、きっと新しい友だちができるから」と言いましたが、仲良し三人組にわざわざ割り込んでくる子もなく、ヨースケくんが新しい仲間とつるむこともなく、「中学生になれば、ヨースケくんも成長するんじゃね」と言いましたが、もちろん彼が精神的に成長することは全くなかったですね。体が大きく、力が強くなっただけです。「さすがに高校は三人別々っしょ」と言ったとき、タケシくんが黙ったままつぶらな瞳でぼくをじっと見つめてきたので、ドキリとしました。何というか、明るい未来の待つ希望溢れる少年ではなく、すでに老い疲れ諦観が漂う初老の男のように見えました。

 薄々ぼくも気づいていたことですが、毎朝頭をはたかれて脳細胞が少しずつ死滅していったせいか、それともストレスで勉強が手につかないせいなのか、ぼくたち二人の成績はジリジリと下降線を辿り、ヨースケくんのそれに着実に近づいていました。たぶんこのままでは同じレベルの高校に進学することは、確実だったでしょう。

 そのときでした、タケシくんが恐ろしい言葉を口にしたのは。いや、実のところよく聞き取れなかったのだから、恐ろしいことを言ったとぼくが早合点しただけかもしれません。「もう……したくない」とか「もう……するしかない」とかぶつぶつ呟いていました。今思えば、一種のノイローゼだったのでしょう。

 そうして、事件当日の朝になります。通学路で、「オッス!」と日に日に大きくなり、力強くなるヨースケくんが分厚い掌でタケシくんのバシッと頭をはたくと、くるっと反転してぼくの頭をはたきにかかります。そのとき、タケシくんが黒い学生カバンからハンマーを取り出すのがチラッと見えました。技術・工作の授業でつくった手製のハンマーです。それで、背後から後頭部をガツンと!

 ヨースケくんはふと虚をつかれたような表情をして、分厚い掌を反射的に後頭部にもってゆくと、なぜかこちらへ向かってニカっと笑ってみせたんです。自分を攻撃した者を確かめようと振り返ると、タケシくんはヘビに睨まれたカエルのように身を竦ませて、ハンマーを取り落としてしまいました。ヤバい! それから起こったことはほんの一瞬のうちのことで、記憶が定かではありませんが、ぼくが生まれて初めてヨースケくんにヘッドロックをかけたんだと思います、このままではタケシくんが殺されると。

 タケシくんはハンマーを拾って、怪獣ごっこしようぜとは言いませんでしたが、「ガォーッ!」と叫んで何度も何度も繰り返し振り下ろしました。鼻が潰れました。歯がボロボロに折れました。頬骨が陥没し、眼球が破裂しました。たぶん、タケシくんは怖かったんだと思います。やるならば、復讐されないように、相手が二度と復活しないように徹底的にやる他なかったのでしょう。そして、ぼくは心底驚いてました。ヨースケくんは無敵でも不死身でもなく、二人が力を合わせれば簡単に、呆気ないほど簡単に倒せる相手だと判明したからです。

 これが事の顛末です。いえ、ぼくが唆したなんて、そんなことは一切ありません。それにヨースケくんに危害を加えたという事実もありません。ヘッドロックですか? あれは仲裁のためにしたことで、先ずタケシくんを守ろうとしたのであって、まさかあんなことになるとは思ってもみなかったですよ。それなのに、タケシくんが責任の一旦をぼくに負わせようとしているのは、正直ショックですね。幻滅したといいますか。少年法で14歳未満は罪に問われることがないと、ぼくがタケシくんに言ったかですって! それは言ったかもしれませんけど、あくまでも一般論であって、それでぼくが殺人教唆だなんて無理がありませんか?

 あのね、ぼくたちは、ぼくとタケシくんは、何度も何度も先生に相談したんですよ。そしたら、先生がなんと言ったと思いますか?
「自分たちで解決なさい!」

(了)


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