はじめてのナレーション
XのDMに仕事の依頼が舞い込んできて昨日の今日で。
指定された集合場所はとにかくでかいだけのなんとか中央公園の入り口。
駅から徒歩15分。
遠かった。
こんなところにスタジオがあるのだろうか?
そこにマルチーズ?を散歩しているセレブ風の細おばさんが歩いてきたので避けようとすると、
「お待たせしてすいませ〜んディレクターの橋本と申します!」
と片手で名刺を渡してきて、そこには知らないローカル局の社名とディレクター的な肩書きが書いてあった。
マルチーズが僕のジーパンによじ登ろうとしている。
「あーあーこらペンちゃん!ごめんなさいね〜」
「あ、僕も橋本って言うんですよ」
「そうそう!ですよねー!だからオファーさせてもらったんです!」
「あ、そうなんですか」
「冗談ですよ〜」
「あぁ」
まぁまぁともかく、声優学校を卒業して2年、とにかくなにをしたらいいのかわからないただのフリーターがプロフィールに「声優志望」と書いていてよかった。
だってまさか地方とはいえ、テレビのナレーションの仕事が舞い込んでくるんだから。
「じゃっ、行きましょうか!」
「はい、よろしくお願いします」
そこからセレブとマルチーズについていくしかないのだが、どうにも中央公園の内部の道なりをズンズンヒョコヒョコ歩いている。
これは犬の散歩ではないのか?
でかい公園なのでもう5分は歩いている。
その間、なんでもないペンちゃんの惚気話みたいなのに適当に相槌を打ちながらやり過ごしたが、
「到着〜!」
と言われた場所は散歩コースを抜けた広すぎるグラウンドの中央だった。
「え、あの、ここでなにするんですか?」
「声録りですよ」
「声録り?ここでですか?」
「ここが一番静かなの。だって誰もいないでしょ周り」
確かに、誰一人いない。
「え、スタジオとかって」
「ないわよ〜全く〜」
なぜか肩を叩かれた。
「じゃあお送りした台本通りに、頭からお願いします」
スマホのボイスメモの録音ボタンを押してこちらに向けてきたことにも衝撃だったが、ちょっと言うことがいっぱいある。
「え、台本って、もらってましたっけ僕」
「あれ?送ったはずですけど、、、あっ!ごめ!ごめんなさい私ったらも!あー!すみません添付してなかったわこれ!すみません今送りますね!」
「…あ、来ました。ありがとうございます」
「ごめんなさ〜い。じゃ頭からお願いします」
「あ、もう録る、えー、これってどんなテンションで読めばいいですか?」
「自由自由!自由人!」
「(自由人?)あ、はい、わかりました」
「では、録音してまーすいつでもどうぞ〜」
ちょっとちょっとぉ!このあと運転するんでしょぉ?!
あーあーみんな飲んじゃって、、、
飲んだ分、注意して運転してくださいよぉ〜!
マルチーズがジーパンをよじ登ろうとしている。
「こら邪魔しないのペン!ごめんなさ〜い」
「いやペンはいいんですけど、あのこれ、大丈夫じゃないですよねこれ、たぶん旅番組ですよね?」
「旅番組ですはい」
「なんか、みんな飲んでましたけど」
「はい、しゅしゃなんで」
「…はい?」
「しゅしゃですので、はい、みんな飲みます」
「しゅしゃ?ってなんですか?」
「あそっか、新番組ですから知らなくて当然ですよねそうだそうだ、えー、ここ、ここにも書いてるんですけど、酒に車でしゅしゃ、番組名です」
「酒車…」
本文から読んでいたから気付かなかったが、送られてきた台本のファイル名が、『酒車ナレ台本』だった。
「これって、本当に存在する番組なんですか?」
「…どういう意味ですか?」
甲高かった声から、急に低い声色になった。
「いや、あの、なんで僕なんかに声がかかったのかなーって思って」
「あー、いえ、んー、こんなこと言ったら失礼になってしまったら申し訳ないんですけども、プロのいわゆる、実績のある方?に数人にオファーしたんですけど、すべて都合が悪くてお断りになりまして、ほんとすいません気分を害されたら申し訳ないです!」
「いえ、全然いいんですけど、たぶん、番組の内容で断られ…っっった!!」
「こらペン!!なにしてんの!?」
セレブがペンを2回はたいた。
足首に噛み付いたペンは剥がされ、マルチーズとは思えない大きい歯型と血が滲んでいた。
「ペンに噛み付かれてまでする仕事じゃないようですので、全て忘れてください。邪心(じゃしん)のあるお方とはお仕事はできませんこと」
とよくわからないことを言って、裸で4万円を渡してきた。
DMで提示されていた倍のギャラだった。
そこから数週間、数ヶ月経っても、『酒車』という番組が検索に出てくることはなかった。
無いなら、
僕が作るしかないか。
まずは名刺とペットショップだ。
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