LGBTを尊重するって結局どういうことなの

 こんにちは、甘太郎です。
いきなりですが僕は同性愛者です。
同性愛者ですから、LGBTに関する世間の目というのは非常に気になることなわけです。

「LGBTであることを尊重されたい」というのは全てのLGBTの願いだと感じております。

 一方で、主に「尊重を要求される側」の立場に立って考えてみると、「LGBTってよくわからないけど、それをどうやって尊重したらいいの?」という疑問が沸くことは必然だと感じています。
 だってゲイ同士ではゲイを自重気味に笑いの種にしているし、トランスジェンダーだって「オネエキャラ」として飯の種にしているじゃないかって。

「尊重」という言葉を国語辞典で引くと、以下のように出てきました。

価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。

goo国語辞典

うーん。確かにそうかもしれないですが、これでは同性愛者の価値を証明しないと尊重を勝ち取れないんじゃないでしょうか。
この話は一旦脇に置いておいて、一同性愛者として、どういう取り扱いを望んでいるのかをお話していきたいと思います

カミングアウトを疑わないこと

 答え言っちゃいましたね。でも順を追って説明します。
あなたに友人Aがいるとします。友人Aはあなたにまだ自分のセクシャリティについて何のカミングアウトもしていません。
この状態を仮に「グレー」と呼びましょう。この状態では、Aさんのセクシャリティは何だかわかりません。当然ですよね。
ヘテロである可能性、ゲイやビアンである可能性などが、シュレーディンガーの猫的な状態で存在しています。

 さてその状態から、Aさんはあなたにゲイであるとカミングアウトをしました。この状態は「Aさんは自身がゲイであると主張している」という状態です。
 「主張している」というのがミソです。カミングアウトの本質は意志表示なのです。

 さて、こういった状態になった時に、「うえ~キモッ」って一蹴するのは良くない反応ですが、これは実は二番目に良くない反応です。

一番良くないのは、「本当にゲイなの?」とカミングアウトの内容に疑念を持つことです。
これがどうしていけないのか、次の項で解説していきます。


セクシャリティって変わるの?変わらないの?

 聞いたことあるんじゃないでしょうか、「思春期の同性愛は気の迷い」って。
だから同性愛者は迷子になっているだけで、正しい道を見つければ、誰もが異性を愛するようになる。こう思っている人も中にはいるんじゃないでしょうか。

これは半分正解で半分間違いです。

 僕はセクシャリティというものを、「箱の中身を手探りで当てるゲームのようなもの」と考えています。
 なんか昔のテレビ番組であったじゃないですか。箱の中身を見ないで中身を当てるやつ。
当然ながら箱の中身は変わりませんが、回答者が箱の中身を何だと思っているかは、触って観察していくうちに変わっていきますよね。

 セクシャリティも同じです。自分の本当のセクシャリティが何であるか、「確認」することはできないのです。

 箱の中身を触って行って、これは何だろう?と考え続けている期間のことを「クエスチョニング」と呼びます。LGBTにQがついていたらこれのことです。
 人は自分のセクシャリティについて確信を得ることはできない、と言う点では、人は基本的に一生クエスチョニングです。

 で、ここで話を戻します。人は基本的に一生クエスチョニングなのに、どうしてLGBTの人達は、カミングアウトをするんでしょうか?

 これは、箱の中身にあらかた見当がついたからです。簡単ですよね。
そして尚且つ、「LGBTとして扱われたい」という欲求を持っているからです。例え本当はLGBTだったとしても、「グレー」としての取り扱いに不満を感じていなければ、カミングアウトをすることは基本的にないと考えていいです。

 しかし何度も言った通り、自分のセクシャリティについて完全な確信に至ることはできません。
 ですから、カミングアウトというのは「私はゲイです」という事実確認と言うよりは「私はゲイとして扱われたいです」という意思表示と受け取る方が、より適切です。

 カミングアウトの本質は意思表示なわけだから、「本当にゲイなの?」という疑問は、遠からずこの意思表示を蹴っていることになります。これが一番まずい反応である理由です。

 もちろんセクシャリティの自認は確実なものではないため、「やっぱ俺ゲイじゃなかったわ」ってなることは、あります。
 しかしそうなったとしても驚かずに「そうなんだ」と受け入れることが大切であり、LGBTに対する反応として適切なものなのではないでしょうか。

まとめ

 LGBTを尊重することは、カミングアウトを疑わないこと。
基本的にレズビアン、ゲイ、バイセクシャルに関してお話したつもりですが、トランスジェンダーに関しても概ね同じことが言えます。
 もちろん「同性愛者として扱うこと」は「笑いものにされてもいい」という意味ではありません。しかし、具体的にどういった取り扱いを望んでいるのかは、そのカミングアウトした人本人の様子を見る他ないんじゃないでしょうか。
 ここでお話したのは、LGBTについて考える上での最低限の知識や考え方です。参考になれば幸いです。

 また、この記事は僕のLGBT関連の記事にはおそらく必ずと言っていいほど引用されるでしょう。他の記事から飛んできた方、お疲れ様でした。これから本題の記事をお楽しみください。


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