「自分が働く理由」と「新しい老舗」を探る旅
最近、そもそも俺は何を目指して経営者しているんだっけ、と考え込んでいる。社内で進んでいる色んなプロジェクトもあるし、うちに来ないかと誘ってる人らもいる中で「何をグジグジとお前はそんな根本的な所を悩んでいるんだ」ともう一人の客観的な自分が怒ってきたりもするけど、41歳の冬にこういう内容をゆっくり考えられる状況は贅沢だし、25歳から始まった自分の社会人生活はまだ半分も過ぎていないのでいいタイミングかもしれないとも思う。
地方の中堅企業の4代目の経営者としては取れる選択肢も多いが、別に上場したいわけでない。会社の規模を必要以上に大きくしたいわけでもない。好奇心の赴くままに仕事をして、今の利益レベルと人員が維持できれば別に良いと思ってるし、分不相応に良い生活させてもらっているので満足もしている。ゼロカーボンやSDGsやらに社会的な責任もあるので貢献するが、でもそういう他人が設定したゴールを会社自体の目標にして軽々しく乗っかるのは心のどこかで自分に嘘をつくなと言っている。
うちの会社のCI(コーポレートアイデンティティ)は「新しい老舗」だ。自分は割とこれは好きで、究極の中小企業の一つのあり方を示していると思う。またCIをブレークダウンした経営理念はHomeostasisとAdaptabilityという矛盾した概念の統合を謳っている。これは父親が自分に社長譲るさい10年前に作ったものだ。なかなか格好いい。
もう少し引き寄せて考えてみると、「新しい」は何をするかはなんとなく分かる。常に既存の事業を最新にアップデートさせて、連続的なShiftを繰り返していく姿勢だと思う。自分の代になってからエネルギー事業ならゼロカーボン事業の開始ややデジタルによるUX改善、既存ソフトのSaaS化、食品輸入事業でアップサイクル商品などのSDGs商品への取り扱い比率の向上も取り組んでいる。社内のDX/RPAもひと段落つき、会社の仕組みもそれなりに整備された。まぁ、これは良いだろう。
逆に「老舗」がなんなのか正直、自分は分かってない。一般的な老舗といえば「長期的視点の経営」や(昔ながらの)「三方よし」が頭に浮かぶ。ハマポケなんかでコミュニティにも貢献してるのは少し老舗っぽいなぁと思う。でも、なかなかシックリくる定義はなく、CI作るならその時に「老舗」や「受け継がれた企業姿勢」がなんなのかも定義しておいてくれよ、と先代社長の親父に愚痴の一つも言いたくなってる。
逆にいえば、自分があと25年後くらいに会社から引退する際、どんな「新しい老舗」を引き継がせたいか、またその際に社員がどんな「老舗」のイメージを持ってるか、それを作っていくプロセス自体が大事にも感じる。性急な定義はせずに急いで作らない姿勢も「老舗」っぽいのかなと思う。今年はそれを探る対話を社内外で色んな人の力も借りながら腰を据えて行おうと思っている。