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何のため勉強してんの?

"何のため勉強しなきゃいけないんですか?"

私は今、学生と並行して、生徒に勉強を教える仕事をしているが、生徒からよくこのような質問をされる。


"なぜ私たちは勉強するのか"
"何が私たちを勉強に駆り立てるのか"

"勉強することの根本的な意味は何なのか"
私はここまで真剣に勉強の意味を考えることがなかったため、この質問を初めてされたとき、返答に困った。生徒に勉強を教える以前に、まずは前提として教育者が勉強する意味を理解しておかなければならない。
今日は勉強の本来の目的を考え、さらに各教科ごとに分けそれぞれの勉強するメリットについて考えてみる。

まず初めに、勉強をする目的について考える。私は勉強の目的を主に4つ定義する。

1つ目の目的は、自分の可能性を広げ、人生の選択肢を増やすためである。
教師になるためには、大学を出て教員免許を取得する必要があるが、その免許がなければ教師にはなれない。特殊な資格を有する職業では、その資格が絶対条件である。"勉強をしない"という選択は自身の将来性を狭めることになる。もし、全く勉強しなかったら、完全に生まれ持った才能だけで生きていかなければならず、特定の分野でズバ抜け、突出する必要がある。例えば、何もしなくても足がものすごく速いとか、記憶力がめちゃくちゃ良いとか、生まれつき芸術に秀でているとか。こういった分野で成功するケースは非常に稀であり、成功に困難を要する。また、そういった才能を持って生まれた人も近年、さらに上のレベルを目指すために、勉強、研究を行っているのもまた事実だ。そういった人たちにノー勉強で挑むのは非常にリスキーである。
そこで、そんな特殊な人たちと戦う、社会で勝負するために必要となってくるのが、全員に共通の条件で与えられる”勉強”である。
勉強することで、あなたの可能性は大きく広がる。

話が固くなった。
ここで視点を変えてみる。
モンスターボールで捕まえられるポケモンと、マスターボールで捕まえられるポケモンには違いがある。可能性はゼロではないけど、限りなく低い、という意味だ。
効率や確率の観点から、"勉強”は、人生において圧倒的なスキルとなる。
勉強は、自身の可能性を広げ、人生の選択肢を増やしてくれるのだ。

2つ目の勉強の目的は、勉強のやり方を学ぶことである。
”勉強のやり方がわからない”などと言う人もいるが、そりゃそうだ、勉強の絶対的なやり方など存在しないのだ。勉強のやり方に不正解はあっても正解はない。目で覚える人、耳で覚える人、口で覚える人、勉強の仕方は各々無限大である。その点から、"勉強のやり方もまた一つの個性"と言える。人間の数だけ勉強のやり方が存在する。その勉強のやり方を "勉強する"こと、そして自分に合った勉強法にいち早く気づくことが大切なのだ。
勉強のやり方は、確立するのが早ければ早いほど、それだけ効率的な勉強法ができる。どれだけ早く自分に合った適切な勉強法を見つけるかが学力に大きく影響する。それは誰かに言われて気づくものではなく、自身がもがきながら勉強する過程の中でしか発見できないものなのだ。

3番目の勉強の目的は、勉強したもの全てが自分に返ってくることである。前段落で勉強するメリットをあげたが、それら全ては勉強することで自身に恩恵として返ってくる。勉強は自身の将来への投資なのだ。やればそれが自分を助けることになるが、サボれば将来、自分の人生がキツくなる。
現在が過去の全てで構成されているように、未来の全ては現在により作られる。勉強という渦中にいる今は苦しいかもしれないが、一度、努力した自分の今後と、サボった今後の人生を想像し、比較してほしい。誰もが前者になりたいと願い、それを望むだろう。辛いのはこの瞬間だけ、自分の人生を決めるのも自分。
後悔したくないなら、やれ。

最後の勉強する目的は、ただ知らないことを知りたいという欲求のためである。自分のために頑張るのではなく、知らないことを知りたいという気持ちだけで行動する最も理想的な勉強の目的である。他の4つとは異なり、"知りたいことを知る" ということに"頑張る" という努力を要しないため、無限のモチベーションが生まれる。例えば、あなたが趣味のうちに、好きで覚えた知識や教養は頭の中にはっきり残っているだろう。また、そこに覚えるための"苦痛な努力"は存在しなかったはずだ。本来、学校現場でも勉強の姿勢はこう教えられるべきであるが、それもまた難しいのが現状だ。生徒のニーズに合わせ、それに準じて適切な量、内容、方向性で行われなければならない。現在の教育環境において、それには努力を要するが、知らないことを知りたいという気持ちで勉強することは、最も理想的なカタチの勉強法といえる。これを導入、採用することで最も効率的で有効な勉強ができる。

各教科ごとの勉強のメリット


それでは、各教科によって勉強するメリットを分類する。
現在、主教科と呼ばれる 国語、数学、理科、社会、英語の5つの教科に分類して考える。

 まずは国語についてである。国語を勉強するメリットは、その言語の深みを味わうことができることだ。ネイティブとして、その国にしかない言葉や概念、感情によってその言語の深みに浸ることができる。その深みは、時にスキルとして役に立つ。国語力は、対人関係で有利に出たり、ビジネスでのやりとりで有効にはたらく。
 次に、数学についてである。数学というものは"正解"が確実に存在するものであり、その過程での考え方や思考を学ぶことができる。論理的に働くことにより、日常生活における"正解"をより導きやすくする。数学は、物事を発見し、論理的思考をふまえ、それを解決する力を身につけさせる。
 次に、理科について、私たちはそれを通して、身の回りの奇跡を認識することができる。あなたが今こうして使っているコンピューター、今あなたが着ている服、目に見える光、これらの全てが科学による奇跡で作られている。それら奇跡は、私たちを取り巻く自然環境の中で、自分たちの生活をより安全かつ、便利で豊かなものにする。私たちと自然界との繋がりを知覚し、理科における知識が生活に役立っていることを実感することができる。また、これを読むあなたも、実際にその役割を担うことができる。あなたの功績がこれからの社会の発展となり得るのだ。
 社会を勉強するメリットとしては、私たちの社会的生活を見直すことができることがある。例えば、社会の主な項目として、歴史、地理、公民があるが、それら全てを学ぶことで自身の社会生活を見直すことができる。現代を生きる私たちにとって、過去は一見関係ないように思えるが、過去の遺物は先人たちの知恵と努力の結晶なのだ。過去を学び、現代でそれを深め、発展させることで、未来の進歩へとつなげることができる。過去に何が起こった結果、現代があり、未来をどうやってより良くするかを学べる、それが社会である。
 最後に、英語である。英語を学ぶことで、世界と繋がることができる。古来より独立した島国である日本では忘れがちだが、私たちが普段話す日本語が主に使われている国は、世界ではただ日本だけである。そのため、世界とつながる、世界に出るためには英語が必須と言える。もし、日本語しか話せなかった場合、他の世界との比較対照が出来ない。日本がどの点で優れ、どの点で劣っているかが不明なままであるのだ。データベースの観点でも、日本語しか使えないと、日本の先入観が入ったデータや論文しか手に入れられないが、英語を使えると、世界中の情報を大量かつ瞬時に手に入れることができる。英語は世界とつながる架け橋となる。同時にこれは、自身の可能性を広げることにもつながる。日本という狭い島国のみで余生を過ごすのではなく、世界に飛び出ることで、新たな冒険、発見と出会うことができる。


最後に


以上のように、私は本来の勉強をする意味、目的を紹介した。ここで注意すべき点は、教育学を専攻し、日々勉強に励んでいる者でさえ、その意味を理解し、行動に移すことには努力を要するのだから、まだ未発達段階である子供たちに勉強の意味や目的を教えずに勉強を強いるのには、やはり無理がある。ただ勉強を強制し、受け身の学習になるのであれば、勉強を嫌いになる子供たちが増えるのも当然である。これを読んだ、1人でも多くの子どもたちの力になるため、これからも私は"常識"を疑い、自身の考え、意見を発信していく。
勉強するということには、精神的にも肉体的にも大きな労力を要するが、その苦労の分、もたらされるリターンは大きい。勉強することで、それはあなた自身を助けることになり、あなたの人生を豊かにするだろう。


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