見出し画像

8月9日、11時2分

8月9日。
長崎に原子爆弾が投下されてから77年が経過した。
長崎で生まれ、長崎で育った自分にとって、8月9日はこれからもずっと特別な日であり続ける。

学生時代、8月9日というと毎年その日には学校へ行き、原子爆弾が投下された当時の話を聞き、平和について多くのことを教わった。
これを他県の人に話すと珍しがられたことに驚きを覚えた、県民限定なのだと。
ましてや8月9日に起こったことを知らないような友人にも出会った。
日本国内でさえそういう事象が起きるのだから国外では知らないのもまた当然なのかもしれない。

アメリカという国に来て1番傷ついたのが、長崎の原爆投下の話についてである。
「日本のどこ出身?」と聞かれて「長崎」と答えると大抵ほとんどの人が「知らない」と答える。最低でも今まで出会った数百人はそうだった。学校の教授など徳のある人でさえ、そう言うのだから、親や学校などから「習わない」のではなく、都合により「習わせてもらわない」のかもしれない。
1番酷いのが、そのことを知っているにも関わらず、それをネタや笑い話にするような人たちもいることだ。これは一部ではあるが実際に存在することに激しく憤りを感じる。


それを「仕方ない」で終わらせてはいけない。日本国民ならそうだろう、少なくとも私は長崎県出身として、原子爆弾の恐ろしさ、平和の尊さをこれからの世界に継承していく義務がある。



最後に、小学生の頃、実際に被曝を経験された方から直接聞いた言葉で、今でも自分の心に残っているものを紹介する。

「広島に世界で初めて原子爆弾が投下された、悲しいことにそれはもう紛れもない事実である。しかしながら、長崎が世界で最後の原子爆弾投下地であり続けられるかどうかは、これからの私たちの努力次第である」

これからの世界を担う若者として私たちは戦争の恐ろしさ、平和の尊さを次の世代へ、そして世界へ語り継いでいかなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?