人口戦略会議 少子化対策

少子化について気になっていたので、このニュースを朝日新聞電子版で読んだ。
概略は危機的状況で、打開するためにはかなり真剣にならなくてはならず、民間企業としては、育児家事に参加する男性を増やす機会を作っていくということであった。
いつも通りやな、ということと、育児、家事を手伝っても増えるのか疑問ではある、と思った。でも打つ手としては妥当ということだろう。
なぜなら子どもを持つことは今や微妙な感情を生み出すからだ。子どもができると周りに迷惑をかけるし、それを堂々と本人に言ったりする。子どもを持つことが不自由だったり、自分の人生を生きることができないと考えたりする。
そのような考えが蔓延しているのに子どもが増える?あるいは増やそうとしているのがなんとなくおかしい。つまり、これが幸いであり、喜びでありでなければ、単なる仕事が増えているだけである。つまり、男性であろうが女性であろうが負担が増えるのであれば、皆やりたくないのである。もちろん、ぎゅうぎゅうづめの電車に乗って会社に行き仕事をする人が多いこの世の中、皆、どこからかの命令になれば従うことでしょう、ということはある程度の成果は出て、良かった良かったにはなるが、本質は変わらないから改善されない。
問題の先送りと、成果主義のプロジェクトとなることは明らかだ。
制度は利用されてなんぼである、義務であればよくならないのだ。

私がこのニュースで一番大切だと思ったのが、女性の減少率が大きいのにまだ存続している町村があること。これからなくなるということなんでしょうが、実はなんらかの形の成功ではないか。
数値ではなく細かく分析し、仮説を持って検証してほしい。
私の仮説では人は少ないが、経済的に有利な場所であるために、そこを捨てない人がまだいるということ。である。
そこを捨てない理由をしっかりと見据えるべきだ。なぜその理由を知る必要があるか。少子化は止められないから。子どもは社会の宝でなくなった日本に、その宝が増えることはない。
つまりこれからは住む理由、存在する理由をこの日本に住む人たちは考えないといけないのだ。
日本に四季があるのが素晴らしい?
ならばどこか山の中の寒村跡地に住むだろうか。
四季はある。しかし暮らしていけないのではないか。
そこで暮らしていく価値観を作ることが実は今必要なのだ。

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