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【龍の自画像~中国人が語る中国人】第5章(最終章)「中国人の面子(メンツ)」~易中天『閑話中国人』を読む


第五章 変わらぬ中国人の体質~易中天『閑話中国人』を読む


 易中天(1947~)は、現代中国の歴史学者である。
 1981年、武漢大学(中文科古代文学専攻)で修士学位を取得し、同大にて教職に就き、のちに厦門大学人文学院の教授となり、現在に至る。

 中国中央電視台(CCTV)の番組「百家論壇」にて、「三国志」を講談風に語り、視聴者から大きな反響を得たのを契機に、注目を集めるようになる。

中央電視台「百家論壇」

 代表作は、ベストセラーとなった『易中天品三国』。他に『閑話中国人』『中国的男人与女人』『品人録』『帝国的終結』『我山之石』など、多くの著書がある。

 中国の歴史・文化に対して、独特の見解を示して人気を博している。
 しばしばメディアに登場し、「スター学者」と呼ばれる一方、時として、飛躍的な議論や独断的な口調が見受けられ、学問的でないとの批判を受けることもある。

 『閑話中国人』(上海文芸出版社、2000年)は、第一章「飲食」、第二章「服飾」、第三章「面子」、第四章「人情」、第五章「単位」、第六章「家庭」、第七章「婚恋」、第八章「友誼」、第九章「閑話」に分けて、中国人の生活文化をエッセイ風に語ったものである。

中国人とメンツ

 「メンツ」とは、中国語の「面子miànzi」の音訳で、「顔をつぶす」「面目を失う」「体面を気にする」などと言う時の「顔」「面目」「体面」と同じである。「メンツ」は、中国人の行動様式を理解する上でのキーワードである。

 メンツは中国人の宝物である。メンツは、ほとんど中国人のすべてを統括している。人間関係はメンツに従って、処理され、維持される。社会生活もまた、メンツによって決定され、執り行われるのである。【1】

 魯迅(1881~1936)は、「メンツについて」(原題「説 “面子”」)という文章の中で、次のように述べている。

魯迅

「メンツは、我々が会話のとき、よく聞く言葉だ。聴けば、すぐわかるらしいから、この言葉について詳しく考えた人は、多分あまりいないであろう。だが、最近、外国人の口からも、時々この言葉を聴く。彼らは、研究しているらしい。彼らは、メンツというのは、なかなか理解しにくいが、これは、中国精神の要綱であって、これさえ把握しておけば、二十四年前に辮髪をつかんだのと同じように、全身が引かれるままに動くと考えている。」

 この一文は、上海の雑誌『漫画生活』(1934年10月)に発表されたものである。文中の「二十四年前の辮髪」云々は、辛亥革命時のことを指す。

 魯迅が言及している外国人というのが、この人物であるか否か、定かではないが、宣教師として中国で二十二年間の歳月を送った米国人のアーサー・スミス(1845~1932)は、 Chinese Characteristics (邦訳タイトル『支那的性格』)という書物の中で、メンツの問題を巻頭第一章のテーマとして取り上げて、その冒頭で、次のように語っている。

「全人類の誰もが共通して持っているものを以てして中国人の “性格” と呼ぶのは、一見極めて不合理なことかもしれない。しかし、“face” という語は、中国では、単に頭の前面を意味するだけではなく、多くの意味を内包した正に複合名詞であり、その意味するところの複雑さは、われわれ西洋人が説明しようとしても、理解しようとしても難しいのである。(中略)もし正しく理解することができたならば、“face” は中国人の最も重要な性格の大部分を解き明かす鍵となることだろう。」

 今日刊行されている「中国人論」や「中国文化論」の類いの論著においても、中国人の行動様式を語る際に、必ずと言ってよいほど言及されるのが、このメンツの問題である。

江河海『中国人の面子』
吉村章『中国人の面子』
遠藤滋『中国人とアメリカ人』

中国人の行動様式の尺度

 食事の招待は、日常生活の上で、主人と客人のメンツが、まさに正面からぶつかり合う場面であり、中国人のメンツの問題を端的に捉えることのできる事例である。

 人を食事に招く場合のことを例に取ろう。誰を招くべきか、誰を招かぬべきか、また誰を丁重に招くべきか、誰をただ口任せに軽く招くだけにするべきか、すべて一様にメンツによって決められるのである。
 招待した後も、誰を先に席に着かせるべきか、誰を後に席に着かせるべきか、また誰を上座に据えてしっかり接待すべきか、誰をいい加減にあしらうだけで済まして構わないか、やはりすべてメンツによって決められるのである。
【2】

 招待する人の選定、招待する際の形式、そして食事当日の席次から接待の度合いまで、すべてメンツによって差配されるのであるという。

 続いて、易中天は、同じく食事の接待を例にして、中国人の言動がいかにメンツ次第であるかを具体的に語る。

 メンツのある人から食事に誘われるのは、むろんメンツの立つことであり、メンツのある人を食事に誘うことができる、ということもまた同様に、メンツの立つことである。
 客を招く側は、客のメンツを保つために、見るからに、海の幸、山の幸を取りそろえた大ご馳走であっても、「(貴方にとっては)たいした料理ではないでしょうが」と言わねばならない。
 誘われた側は、見るからに、自分の口に合わず、食欲が進まない料理であっても、ホストのメンツを立てるために、「おいしい、おいしい」を連呼しながら、いかにもおいしそうに食べる仕草をしなければならない。
 もちろん、こういう場面では「程合い」をわきまえるのが極めて重要である。食べるのが少なすぎると、ホストのおもてなしが不十分であるのを責めているかのように見えてしまい、ホストのメンツをつぶすことになる。
 あんまり食べすぎて、ガツガツ食らいつくようなのも、これまた、自分に教養がない、あるいは世間知らずなように見えてしまう。
 要するに、人の一切の行動は、すべてメンツの得失によって取捨し、メンツによって操作・指揮されねばならないのである。
【3】

 中国人の社会生活において、彼らの言動の背景には、つねにメンツがあり、これを尺度として、一切の行動の取捨が決められ、行動の程度や限度が計られる。

 食事の接待の場面のみならず、服装の選択、贈り物の授受、頼み事の諾否、もめ事の解決など、人と人が関わる場面では、すべてメンツが物差しとなるのである。

「よし、これで立派になったぞ」
「おれが払う!」「いや、おれに払わせろ!」

項羽と阿Q

 歴史学者の易中天は、しばしば歴史故事から例を引いて論を展開する。
 ここで引かれているのは、司馬遷『史記』の「項羽本紀」に描かれている英雄項羽の最期である。

 秦王朝が滅ぶと、世の中は再び乱れ、楚の項羽と漢の劉邦が二大勢力として天下争いを繰り広げた。はじめは優勢だった項羽であるが、ついに形勢を逆転される。追いつめられ、四面楚歌となった項羽が、寵妃虞美人と愛馬を前にして雄々しく歌ったのが、かの「垓下の歌」である。

 代々楚の将軍という由緒ある家系の出身であり、勇猛無敵の武将として、一時は天下に覇を唱えた項羽は、人一倍自負心の強い男であった。
 敗北は自分の力のせいではなく、天が味方をしなかったためだ、と自らの運命を悲しみ歎く。

 人に合わせる「顔」がなくなると、一体どういうことになるのだろうか。軽ければ、人から相手にされなくなる程度ですむであろうが、重い事態になると「首がなくなる」ことになる。
 例えば、かの項羽は、天下争いでずっと連戦連勝であったが、しかし最後の一戦で惨敗を喫し、それで、もうすっかりメンツを失ってしまい、故郷にすら帰れない始末になってしまった。
 項羽自身の言い方はこうだ。「籍(項羽の本名)、江東の子弟八千人と江を渡りて西す。今一人の還(かえ)るもの無し。縦(たと)え江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありて之に見(まみ)えん」。
 昔の人がメンツを必要としたのは、誠に切実なことであって、今の人たちのように、面の皮を厚くして軽々しく「すみませんでした」の一言で済ませてしまうのとはわけが違う。
 だから、項羽はついに自尽したのである。項羽が自尽するや、多くの人たちが彼を英雄と称え、彼に捧げる讃歌を詠い、敗れた彼の悲運を哀れんだ。(中略)いずれにしても、項羽のメンツは、なんとか奪回されたのである。死後になってのことではあるが。
 このことからわかるように、メンツを失うということは、時として命を失うよりも恐ろしいことなのである。
 貞操を失った少女、試験に落ちた青年、捕虜になった戦士など、そうしたメンツを失った者たちが、往々にして、早まった道を選んでしまう所以も、まさにここにあるのである。
【4】

 易中天は、項羽の最期を「メンツ喪失者の末路」として捉えている。
 
 江を渡って本拠地に戻り、体勢を立て直して、再び決起すれば、まだ捲土重来の望みは持てた状況であった。
 しかし、「我何の面目ありて之に見(まみ)えん」というセリフが物語るように、項羽のメンツがそれを許さなかったのである。

項羽

 易中天は、続いて、さらにもう一つ項羽の故事を引く。

 誰でも人は、とりわけ、以前に周りの者から見くびられていた人は、いざメンツのある身分になると、矢も楯もたまらず、その姿を人々に見てほしいと思うものである。
 その昔、項羽が秦王朝を亡ぼした時、まだ天下が定まらず、強敵が目の前にいるにもかかわらず、それでも居ても立ってもいられず、故郷に帰ろうとした。
 項羽自ら言うには、「富貴にして故郷に帰らざるは、繍を衣て夜行くが如し」。
 これもまた、人情の常なのである。あの阿Qでさえ、町へ行ってコソ泥を働き、わずかながら金持ちになると、未荘の酒場で鼻高々に振る舞い、ふところから手のひらいっぱい銅銭銀銭を取り出してみせたのである。
【5】

 同じく「項羽本紀」の中で、やや時間を巻き戻して、項羽が秦を陥落させた時に発したセリフである。自分が攻め落とした秦の宮殿が焼け崩れるを目の前にして、項羽はこう言った。

 「成功しても故郷に戻ってその姿を見せなければ、錦の服を着て真っ暗な夜道を歩くようなものだ。」

 凱旋する姿を人に見せ示さなければ、誰も自分の成功を知り得ないではないか、というわけだ。

 メンツというものは、人から評価されてはじめて保たれる。戦功を上げても、それが人に知られなければ、まったく意味がないのである。

 後半は、魯迅の小説『阿Q正伝』からの引用である。

 日頃、人から馬鹿にされている阿Qは、いざ “成功” すると、それを自慢せずにはいられない。

 阿Qは、当時の中国人庶民の卑屈な奴隷根性を象徴する人物像として描かれているが、そうした男もまた、メンツで生きているのである。

『阿Q正伝』

命より大切なメンツ

 メンツのためなら命も要らぬ、というのは、決して戯言ではない。
 メンツは、少なくとも身体より大切なのである。実際に、中国人は昔からメンツのためならば、身体に害が及んでも、なんら気にしないのである。
 例えば、ふらりと人の家へ遊びに行ったら、先方はちょうど食事中であったとしよう。その家の主人が「いっしょに食べましょう」と何度も誘ってくれたとしても、それでもメンツゆえに、自分のお腹がグーグー鳴っていても、遠回しに誘いを断り、「さっき食べたばかりですから」と強くはっきり言わざるをえないのである。
 これが、身体よりメンツが重要という証である。なぜなら、身体を損なっても、それは、ただ肉体の痛みに過ぎないが、メンツを損なったら、まさに深い心の痛手となるからである。
【6】

 メンツは、「誇り」「プライド」「自尊心」「名誉心」「見栄」などと似たもので、日本人や欧米人も多かれ少なかれ持っているものである。

 しかしながら、中国人の場合は、このメンツに対する執着の度合い、そして、それを失った時の深刻さの度合いが、他の民族に比べて、ずっと強いと言えるのである。

 中国人の特質として挙げられるさまざまな行動パターンや思考モードが、多くの場合、メンツを鍵として考えることによって、一定の解釈を導き出すことが可能になる。

 例えば、中国人の特質の一つとして、「非を認めない」ということがよく言われる。

 このことも、メンツを軸にしてその理由を考えることができる。非を認めることは、メンツに関わることであるから、明らかに自分が間違っているとよくわかっていても、なかなか間違えを認めようとしない。

 事実がどうであるのか、何が正しいのかなどは、メンツの前では二の次になる。そこから、甚だ不可解な弁解や曲論、あるいは開き直りの態度などが生まれてくるのである。

 また、中国人は、人前で叱責されたり、過失を指摘されたりすることを極端に嫌う、ともよく言われる。

 この場合も、人前でそのような目に遭って「恥ずかしい」という日本的な羞恥の感覚ではなく、中国人にとっては「メンツをつぶされた」という憤怒の感情が先立つのである。メンツをつぶされることは、彼らにとって、この上ない屈辱なのである。

 注意を要することは、中国人のメンツは、「誇り」や「プライド」とは、似て非なるものである、ということである。
 
 「誇り」や「プライド」というものは、日本の武士道や、西洋の騎士道のように、その人間を支える道徳精神の問題である。

 しかし、中国人のメンツは、そうした類のものではなく、往々にして利害が関わっていて、そこに何らかの計算が働いている。
 メンツにこだわるのは、個人の尊厳を守ろうとするからというよりも、むしろ自分の立場や利権を守ろうとするからなのである。

 中国社会に蔓延する不正や腐敗の問題も、メンツと無縁ではない。
 利権を手にしている人間ほど、メンツに対する執着心が強い。賄賂が横行し、事実が隠蔽され、冤罪が生まれる背景には、法律や正義よりも、自分のメンツを重んじる官僚や警察の体質が、少なからず関わっているのである。

 メンツに関して、およそ百年前に魯迅やスミスが指摘したことは、今日の中国人にも、ほぼそのまま当てはまる。経済発展が進み、軍事大国となり、社会の様相が一変しても、民族の根本的な体質は、それほど大きく変わるものではないのである。

 現代中国においては、とりわけ外交の場面で、メンツが大きく物を言う。国家の意思決定は、必ずメンツと相談した上で行われなくてはならない。
 他の国家と交渉する際には、いかなる問題においても、中国という国家のメンツを保つことが最優先なのである。

おわりに

 近代、中国人による中国人論の嚆矢となったのは、魯迅や林語堂の著作であり、当時の中国人の国民性・民族性に対して鋭い洞察を示した。

 80年代後半以降、中国人の人間関係や社会行動について、本格的な学術的研究が始まる。
 しかしながら、それらの中には、愛国主義と結びつけて、中国文化の優越性を中華民族の誇りとして前面に押し出したものや、逆に、欧米や日本と比べて、もっぱら中国の後進性・劣悪性を強調する自虐的な口吻のものも見受けられる。

 中国人を語る難しさは、当たり前の事ながら、中国の多様性にある。
 その国土の広さゆえに、北と南では文化的風土が著しく異なるし、沿海部と内陸部、あるいは都市部と農村部では、貧富の差のみならず、風俗習慣も異なる。
 同じ地域においても、知識人とそうでない人々の間では、道徳意識の差は大きい。
 また、「中国人」と言う時、主に漢民族を指して言うが、中国には五十五の少数民族が存在し、「少数」 とは言え、総計で人口は一億を超えている。

 中国は、数千年に及ぶ悠久の歴史を有する。古代中国人と現代中国人とで人生観・世界観が異なるのは当然であるし、ごく近い過去に絞ってみても、新中国誕生以降、文革以降、そして改革開放以降、それぞれの節目を境にして、中国人の価値観や行動様式に、大きな変化が見られる。

 本稿で5章に分けて取り上げた文献は、ごく基本的な内容のものばかりであるが、いずれも中国人と中国文化を理解する上での本質的な部分を突いた文章であり、一般論を語ることの難しい中国人に関する最大公約数的な核心に触れたものである。
 現代中国を理解する上で、また、古来変わらぬ中国人の本質を理解する上で、少なからず有益な文献であろうと思う。

引用原文

【1】
面子是中国人的宝贝。面子几乎主宰着中国人的一切。人际关系,要靠面子来处理和维系;社会生活,也要靠面子来决定和操作。

【2】
就说请客吃饭。什么人该请;什么人不该请;什么人该“再三敦请”,什么人不过随口说说,都一律取决于面子。请来以后,什么人该先入席,什么人该后入席;什么人该坐在首席,什么人只能“打横作陪”,甚至站在旁边,也一律取决于面子。

【3】
被有面子的人请去吃饭固然是有面子,能把有面子的人请来吃饭也同样是有面子。请客的人,为了给客人面子,明明是杯盘交错,水陆杂陈,也得说“没什么菜”。被请的人,明明是口味不适,胃口不佳,但为了给主人面子, 也得连说好吃,作大快朵颐状。当然,在这里,掌握“分寸”是极为重要的。--吃得太少,似乎怪罪主人招待不周,是不给主人面子;吃得太多,狼吞虎咽,又显得自己没教养,或没见过“世面”。总之,一应行动,均应以面子的得失为取舍,由面子来操纵和指挥。

【4】
没脸见人又怎么样呢? 轻一点的会“吃不开”,重一点则要“掉脑袋”。比如项羽,历来百战百胜的,但最后一仗惨败,这就面子丢光,连家也回不得了。他自己的说法,是“籍与江东子弟八千人渡江而西,今无一人还,纵江东父老怜而王我,我何面目见之!”古人要面子很实在,不像今人脸皮厚,只是轻描淡写地说一句“不好意思”便罢了,所以项羽终于自杀。项羽一自杀,就有很多人来说他是英雄, 为他唱赞歌,打抱不平。(中略) 反正,项羽的面子总算是争回来了,虽然是在死后。可见,丧失面子,有时会比丧失性命还要可怕。失身的少女,落榜的少年,被俘的战士,还有其他那些“丢了面子”的人,往往会竟至于“寻短见”,道理也就在这里。

【5】
一个人,尤其是先前曾经被人“看不起”的,一旦有了“脸面”,便会迫不及待地想要人“看”。当年,项羽灭了秦王朝时,尽管天下未定,强敌在前,还是心急火燎地要回老家去,道是富贵而不还乡,岂非穿着漂亮衣服在夜间行走(衣锦夜行)?这也是人之常情。就连阿Q,进城做贼小小地“发”了一下,也要在未庄的酒店里“摆阔”,掏出钱来,“满把都是铜的银的”。

【6】
死要面子,并不是说说玩的。面子少说也比身体重要。事实上, 中国人为了面子,向来就不在乎“身受其害”。比方说, 贸然地到别人家里做客, 正巧人家在吃饭, 尽管主人再三邀请你“一起随便吃点”, 但为面子故, 明明自己饥肠辘辘, 也得婉辞,并坚持声明自己“刚刚吃过”。此即脸面重于身体之明证。因为身体受点损失,不过“皮肉之苦”;面子受了损失,那可是“心灵的创伤”。


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