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【心に響く漢詩】李白「山中問答」~我が心の別天地、俗世の者にはわかるまい

    山中問答  山中(さんちゅう)問答(もんどう)
                          唐・李白
   問余何意棲碧山  
   笑而不答心自閑  
   桃花流水窅然去
   別有天地非人閒

 余(よ)に問(と)う 何(なん)の意(い)ありてか碧山(へきざん)に棲(す)むと
 笑(わら)いて答(こた)えず 心(こころ)自(おの)ずから閑(かん)なり
 桃花(とうか)流水(りゅうすい) 窅然(ようぜん)として去(さ)る
 別(べつ)に天地(てんち)の人間(じんかん)に非(あら)ざる有(あ)り

 唐代の詩人李白(りはく)の七言古詩です。

 李白については、こちらをご参照ください。↓↓↓


余(よ)に問(と)う 何(なん)の意(い)ありてか碧山(へきざん)に棲(す)むと
笑(わら)いて答(こた)えず 心(こころ)自(おの)ずから閑(かん)なり

――わしに尋ねる人がいる。いったいどんなわけがあって、こんなに緑深い山奥に住んでいるのか、と。わしは黙って笑うだけで答えない。わが心は、おのずとのどかでゆったり。

 「碧」は、深い青緑の色をいいますが、清く透き通ったイメージがあり、「碧山」と言えば、俗世から遠く離れた清遠な山という印象を与えます。

桃花(とうか)流水(りゅうすい) 窅然(ようぜん)として去(さ)る
別(べつ)に天地(てんち)の人間(じんかん)に非(あら)ざる有(あ)り

――桃の花びらを浮かべた川の水が、遥か遠くへ流れていく。ここはまさに別天地。俗世間とは違うのだ。

 「人間」は「じんかん」と読み、人の世をいいます。
 最後の句は、ここには別に天地がある、それは、人の世(つまり俗世間)とは異なるのだ、という意味です。
 この句は、日本語の「別天地」の語源になっています。

 この詩は、山中隠棲の逸楽を歌ったものです。
 詩のタイトルを「山中答俗人(山中にて俗人に答う)」としている版本もあります。

 俗人には何を言っても理解できないだろうし、理解してもらう必要もないからと、李白はただ笑っています。

 これとよく似た詩に、「山中與幽人對酌(山中にて幽人と対酌す)」と題する七言古詩があります。↓↓↓

 「幽人」は、俗世を避けて山奥にひっそりと住んでいる隠者のことで、「俗人」と相対する言葉です。
  
 唐代の詩人には、東晋の陶淵明の影響を受けた詩人が多くいます。
 陶淵明は、田園詩人、隠逸詩人と呼ばれる六朝随一の詩人です。その清遠で超俗的な詩の世界に、李白は強い憧れを抱いていました。

陶淵明

 「山中與幽人對酌」は、『宋書』の「隠逸伝」に見える陶淵明の豪放磊落な逸話をベースにして、気の合う隠者との酒盛りを歌ったものです。

 「山中問答」にも、陶淵明の影が色濃くうかがえます。
 前半二句は、問答形式になっています。表向きは、俗人の問いに答える、となっていますが、実際に李白が俗世の誰かに質問されて、それに答えているというわけではありません。
 架空の相手を設けて、その問いに自ら答える、という自問自答と解釈してよいでしょう。 
 
 いずれにしても、この二句は、陶淵明の「飲酒(其五)」に、

問君何能爾   君(きみ)に問(と)う 何(なん)ぞ能(よ)く爾(しか)ると
心遠地自偏   心 遠(とお)ければ 地(ち)自(おのずか)ら偏(へん)なり

――どうしてそのようなことができるのかと人が尋ねれば、わたしは答える。心が俗世から遠く離れていれば、住んでいる場所も自然と辺鄙な趣になるのだと。

とあるのを意識したものであることは確かです。

 後半二句は、陶淵明の文章「桃花源記」が土台になっています。
「桃花源記」で描かれている桃源郷は、仙境や理想郷を表す絶好の詩的素材として、唐詩の中にしばしば現れます。

「桃花源記」では、漁夫が別世界に迷い込みますが、その冒頭に、

渓(たに)に縁(そ)うて行き、路(みち)の遠近を忘る。忽ち桃花の林に逢い、
岸を夾みて数百歩、中に雑樹無く、芳草鮮美、落英繽紛(ひんぷん)たり。

――谷川に沿って舟を進めるうちに、どれほどの道のりを来たかわからなくなってしまった。その時、ふと桃の花の咲く林に出逢った。川の両岸数百歩にわたり、すべて桃の木ばかり。芳しい草が色鮮やかに美しく、桃の花びらが辺り一面に乱れ舞っていた。

というように、川沿いに桃の花びらが辺り一面に乱れ舞う描写があります。
李白の「山中問答」が、これを踏まえているのは明らかです。

 このように、中国の古典文学においては、過去の詩人の詩句をそのまま、あるいは少々手を加えて、自分の作品の中に使う、ということがあります。
 これは、模倣や盗作というわけではなく、いわば換骨奪胎であり、古典詩における重要な技法の一つです。
 
 李白は、孤高の隠者という印象の強い陶淵明が歌った清遠な詩の世界を自分の作品上にオーバーラップさせ、陶淵明の超然とした雰囲気を自分の詩の中に醸し出すことによって、作品に厚みと広がりを持たせているのです。




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