【5分でわかる古典】白居易「長恨歌」を読む
唐代の詩人白居易(字は楽天)の「長恨歌」をあらすじに原文の抜粋と解説を加えながらザッと読みます。
「長恨歌」は、一口に言えば、こういう内容です。
では、まず冒頭の歌い起こしを読んでみましょう。
――漢の皇帝は女色を重んじ、絶世の美女を望んでいた。
その治世の間、長年探し求めたが見つけられなかった。
楊家にようやく一人前になったばかりの娘がいた。
深窓の令嬢として育てられ、世間に知られていなかった。
ここで「漢皇」(漢の武帝)というのは、唐王朝を憚ってこう呼んだもので、実際は、唐の玄宗を指します。
――天が与えた麗しさは世に埋もれたままのはずがなく、
ある日のこと、選ばれて天子のお側に侍ることになった。
瞳を廻らせて微笑めば、あでやかさが限りなく溢れ出て、
綺麗に化粧をした後宮の女性たちもみな色褪せて見えた。
――春のまだ寒い頃、華清宮の温泉で湯浴みを賜った。
温泉の水は滑らかで、きめ細かな白い肌を洗い流した。
侍女が支えて起こすと、艶めかしく力が抜けたかのよう。
こうしてこの時、初めて天子のお伽をすることになった。
こうして傾国の美女、楊家の箱入り娘は宮中に入り、圧倒的な美しさで天子の寵愛を受けるようになったと詩では歌っていますが、この辺りの経緯は、史実とはだいぶ異なります。
楊氏の娘(本名は楊玉環)は、実は、もとは玄宗の息子である寿王李瑁の妃でした。これを見初めた玄宗が、息子との縁を切らせるために一旦女道士として出家させ、その後に還俗させて天子の後宮に入れる、という手の込んだやり方で息子から奪ったのです。
楊玉環は、のちに貴妃という皇后に次ぐ地位を与えられ、世に楊貴妃と呼ばれるようになります。
還暦に近い玄宗は、20代の若く麗しい楊貴妃にぞっこん惚れ込み、日夜歓楽に耽り、政務を怠るようになります。
皇帝は楊貴妃を溺愛する余り、その親族にも高い地位と領土を与えました。とりわけ従兄の楊国忠は宰相にまでのし上がり、楊氏一族が朝廷で権勢を振るうようになります。
皇帝は昼夜楊貴妃を侍らせ、音楽に歌舞に酒宴にと遊興三昧の日々を送っていました。
こうして皇帝が遊び呆けているうちに、都長安に突如嵐が迫ります。
――漁陽から陣太鼓の音が地を揺るがして襲来し、
霓裳羽衣の曲で楽しんでいた二人の日々を吹き飛ばした。
ここは、安史の乱の勃発を指しています。
「漁陽」は、幽州に属する郡名で、安禄山の任地でした。
「霓裳羽衣曲」は、西域伝来(一説に、玄宗作曲)の舞曲で、楊貴妃は皇帝の前で、この天女の羽衣をイメージした曲に合わせて舞を舞っていました。
都が陥落すると、皇帝は楊貴妃を帯同して宮殿から逃げ出し、軍隊に守られながら西南の蜀を目指します。ところが、その道中で悲劇に見舞われます。
――近衛の軍隊は先へ進もうとせず、どうにもできない。
美しい眉の美女(=楊貴妃)は、皇帝の馬前で命を落とした。
楊貴妃の死について、「長恨歌」ではこのようにあっさりと歌っていますが、唐代伝奇「長恨歌傳」(唐・陳鴻撰)では、そのいきさつを次のように語っています。
このように、国が滅亡の危機に瀕する事態を招いたのは楊氏一族のせいだとする声によって楊貴妃は命を落とします。
蜀へ落ち延びた皇帝は、行宮で悲しみに打ちひしがれ、断腸の思いで時を過ごします。
やがて、安史の乱が鎮圧され、皇帝一行は都長安に帰還します。宮殿にはもはや愛しい人の姿はなく、春風に花が開き、秋雨に梧桐の葉が落ちるさまを目にしても、ただ悲しみが増すばかりでした。
――オシドリを象った瓦は冷え冷えとして霜を重く乗せ、
カワセミの刺繍をしたしとねを共にする者はもういない。
遥かに生と死の世界に離れ離れになってから長い年月がたつが、
愛しき人の魂魄は、これまで夢にさえ訪れて来てはくれない。
楊貴妃を失った皇帝は、往日を思い出しては悲しみに暮れ、鬱々として楽しまない日々を送っていました。
ここまでは、概ね史実に基づいて歌っていますが、ここからは、まったくの虚構の物語となり、幻想の世界が描かれます。
さて、こうして皇帝が夜も寝られず沈み込んでいるところへ、死者の魂を招き寄せる術を持つという道士が現れます。
道士は楊貴妃の魂を探すことになり、上は青天の果てまで、下は黄泉の国まで遍く探し求めましたが、なかなか見つかりません。
ふと遥か遠くの海上に仙山があると聞きつけ、そこへ赴くと玲瓏と照り輝く楼閣に美しい仙女が大勢いました。
その中に、楊貴妃が女道士であった時の名前と同じ太真という字の仙女がいて、雪のように白い肌、花のような顔、まさしく楊貴妃そのものでした。
天子の使いが来たと聞いた太真は、夢うつつの眠りから目を覚まし、奥座敷から下りてきました。
――仙女の袖が風に吹かれてヒラヒラと翻り、
まるで霓裳羽衣の舞を舞っているかのようだ。
使いの道士を出迎えた太真の軽やかに揺れる姿は、あたかも生前皇帝の前で披露していた天女の羽衣の舞を舞う姿とそっくりでした。
太真は情を込めて懇ろに皇帝に御礼の言葉を述べます。そして思い出の品である「鈿合」(螺鈿の小箱)と「金釵」(黄金の簪)をそれぞれ二つに割って片方を道士に預け、言伝を託します。
その言伝は、かつて七月七日の真夜中、長生殿でささやいた二人だけの誓いの言葉でした。
――天上にあっては比翼の鳥に、
地上にあっては連理の枝になりたい。
「比翼鳥」(雌雄二羽が翼を合わせて飛ぶ鳥)や「連理枝」(根と幹は別々でも枝の木目が一つに合わさった木)のように、永遠に一緒で決して離れることがないように、と二人は誓い合っていたのです。
そして最後に、白居易が次のように歌って物語を締めくくります。
――天地は悠久であるとは言え、いつかは尽きる時があるが、
この二人の悲しみは、綿々といつまでも絶えることがないだろう。
「長恨歌」というタイトルは、この最後の2句それぞれの2番目の文字から取ったものです。
「長」は、とこしえ、永遠という意味です。
「恨」は、日本語で言う「うらみ」ではなく、残念無念の思い、後悔で心を痛める気持ちのことを言います。
「長恨歌」は、よくよく考えてみれば、息子の嫁を強奪したトンデモ親父の皇帝が女色に溺れて国家を滅亡の危機に晒し、家来に殺せと言われて寵妃を殺してしまい、それを後悔して沈み込み、道士に頼って魂を探し求める、という物語です。
そう言ってしまうと身も蓋もないような話ですが、白居易が類い希な詩人の手腕を発揮して、華麗な詩語を列ね、ロマンチックで、幻想的、官能的で、詩情豊かな美しい文学作品に練り上げています。
白居易の詩文集『白氏文集』は早くから日本に伝来し、平安貴族の間で流行しました。「長恨歌」が『源氏物語』に大きな影響を与えたことはよく知られています。
以上、全120句に及ぶ長編叙事詩「長恨歌」を掻い摘んでザッと読んでみました。
下の動画は「長恨歌」の皮影(影絵芝居)です。
(中国語朗誦、中文・英文字幕付)
「5分でわかる古典」シリーズ:
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?