【教養としての故事成語】「塞翁が馬」~幸運に踊らず、不運に沈まず、何事もあるがままに
塞翁が馬(さいおうがうま)
【出典】
『淮南子(えなんじ)』「人間訓(じんかんくん)」
【意味】
【故事】
昔、国境の塞(とりで)の近くに、占いに巧みな爺さんが住んでいた。
ある日、爺さんの飼っていた馬が、どうしたことか、胡(えびす)(北方の異民族)の地へ逃げていってしまった。
爺さんがさぞかし悲しんでいるだろうと思い、人々が慰めに訪れると、
爺さんは平然として言った。
――これがきっと幸いになるだろうよ。
そして、数ヵ月後、なんと逃げた馬が、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて戻ってきた。
爺さんがさぞかし喜んでいるだろうと思い、人々が祝いに駆けつけると、爺さんは、また平然として言った。
――これがわざわいになるかもしれんよ。
こうして家に駿馬がやってくると、爺さんの息子は、乗馬に夢中になり、いつもとっかえひっかえ馬を乗り回していた。
ある日、息子はうっかり落馬して、ももの骨を折ってしまった。
みなが心配して見舞いにやって来ると、爺さんは、落ち着きはらってこう言った。
「これがきっと幸いになるだろうよ」
爺さんは、何が起きても慌てることなく、悲しむこともなく、いつも通り悠々と暮らしていた。
それから1年後、胡の軍隊が大挙して侵入してきた。
若者たちは、弓を引いて戦い、国境付近の者は、十人中九人までもが戦死した。
ところが、爺さんの息子は、ももの骨を折って身体が不自由だったため、兵役を免れ、親子ともども無事に生きのびることができた。
人の世は、どんなことも、何が幸福で何が不幸か、まったくわからない。
【解説】
この故事は、人の世の吉凶・禍福はつねに変転し、予測できない、だから安易に喜んだり、過度に悲しんだりするべきではない、ということを語っている。「人間万事塞翁が馬」とも言う。「人間」は、「じんかん」と読み、人の世という意味。
なお、中国語では、 「塞翁失馬,焉知非福」(塞翁馬を失う,いずくんぞ福にあらざるを知らん)という言い方をする。
人の世は常に変化している。幸運な出来事が不運の原因になったり、不運な出来事が幸運のきっかけになったりする。だから、成功しても浮かれることなく、失敗しても気を落とすことなく、あるがままに受け入れて生きるのが賢い、というのがこの話の教えである。
日常での用法としては、不運や不幸に遭った人に対して、慰めや励ましの気持ちを込めて使うことが多い。
『淮南子』は、道家系の書である。「塞翁が馬」の一節は、無理せず自然に生きよ、という道家的な処世訓を語っている。
なお、似たような格言として、『史記』「南越伝」に、「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」(不幸と幸福は、より合わせた縄のように、交互にやってくる)という言葉がある。
【用例】
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