魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「董永」の話を読みます。
「董永」の話は、孝子伝説と天女伝説がミックスしたものです。
物語のテーマは「善行」ですが、善行の中でも、伝統的に、つまり儒教道徳の上で、最も良いとされるのが「孝」です。
孝子の物語は、古来、中国には山ほどあります。
その中でもよく知られている話が、元・郭居敬が編纂した『二十四孝』という書物に載っています。文字通り、二十四人の孝行者の物語です。
『二十四孝』は日本にも伝来し、浮世絵に描かれたり、仏閣に彫られたりもしています。
下に挙げる「王祥」「楚僚」「郭巨」の話は、三話とも『捜神記』にあるもので、『二十四孝』の中にも入っています。
孝子と継母の話は数多く見られます。実の親に孝を尽くすのは当たり前で、継母に孝行するのはさらに道徳的とされました。
「孝」は、儒家思想における最高の徳目とされます。
儒家の説く人倫道徳の根幹となる概念ですが、儒家も元来は政治思想であったことを考え合わせると、「孝」は国家統治の方策でもあります。
上の者を敬えという教えは、上下関係を固定させる方策にほかなりません。
それは統治者にとって頗る都合のいい方策であって、古来儒家が正統思想の座を占めてきた所以でもあります。
むろん親を大切にし目上の者に敬意を払うことは、人の道として然るべきことですが、儒家の説く「孝」は、多分に不合理で理不尽な面があります。
親がどれだけ酷いことや誤ったことをしても、子は文句も言わずに従わざるを得ません。
儒家の儀礼にも不合理なことが多々あります。親の喪に服す三年間は、衣服も食事も粗末にし、遠方には出られず、役人であれば官職を退かなくてはなりません。
昔は、「自由」「人権」「平等」など、そういう言葉すら存在しない時代ですから、当時の人々にとっては不合理でも理不尽でもなく、それがごく当然のことでした。
日本でも、『二十四孝』が伝来した当初は、学童の道徳教材にも用いられたように、儒家の教えをそのまま無批判に受け入れていました。
近代に至って、福澤諭吉が『学問のすすめ』(八編)で『二十四孝』を痛烈に批判しています。
以下は、「郭巨」の話について述べた部分です。
さて、「董永」の話は、天女伝説でもあります。
中国の民間説話には、「天帝の命を受けた天女が人間界に降りてくる」というプロットの系譜があります。
天界で何らかの罪を得て俗界に謫せられる場合が多く、また人間の男と結婚したり富貴をもたらしたりする場合もあります。
『捜神後記』に見える「田螺の天女」の話は、「董永」の話によく似た天女伝説です。
善行の話は、親孝行ばかりではなく、この物語のように勤勉で正直な生き方が報われるという話もあります。
「田螺の天女」の話も「董永」の話と同様に、人の殊勝な行いに天帝が感動して福運を授けるという物語です。
庶民にとって報われることの少ない封建社会に在って、「善い行いをすれば必ず善い報いがある」というシンプルなメッセージが込められています。