【心に響く漢詩】北宋・林逋「山園小梅」~「疎影」と「暗香」
山園小梅 山園(さんえん)の小梅(しょうばい)
北宋・林逋(りんぽ)
衆芳搖落獨暄妍
占盡風情向小園
疎影横斜水清淺
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合斷魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金尊
衆芳(しゅうほう) 揺落(ようらく)して 独(ひと)り暄妍(けんけん)
風情(ふうじょう)を占(し)め尽(つ)くして小園(しょうえん)に向(む)かう
疎影(そえい) 横斜(おうしゃ) 水(みず) 清浅(せいせん)
暗香(あんこう) 浮動(ふどう) 月(つき) 黄昏(こうこん)
霜禽(そうきん) 下(くだ)らんと欲(ほっ)して 先(ま)ず眼(め)を偸(ぬす)み
粉蝶(ふんちょう) 如(も)し知(し)らば 合(まさ)に魂(こん)を断(た)つべし
幸(さいわ)いに微吟(びぎん)の相(あい)狎(な)るべき有(あ)り
須(もち)いず 檀板(だんばん)と金尊(きんそん)とを
北宋の詩人林逋の「山園小梅」と題する七言律詩です。
林逋(967~1028)は、杭州銭塘の人。仁宗から賜った諡「和靖先生」の称で知られています。
淡泊な人柄で、生涯仕官せず、俗世を捨てて、杭州の西湖のほとり、孤山に隠棲しました。
生涯妻を娶らず、庭に梅300株を植え、鶴を飼い、梅を妻とし鶴を子として暮らしたので、「梅妻鶴子」と称されています。
――百花がすべて散った後、梅だけがあでやかに咲き誇り、小さな庭の情趣を独り占めしている。
――まばらな枝は斜めに伸びて、清く浅い川の流れに姿を映している。
おぼろ月のたそがれ時、いずこからともなくほのかな香りが漂ってくる。
――白い鳥(鶴)は、梅の枝に降り立とうとして、どの枝に降りようかと、あたりをこっそりと見回している。白い蝶が、もし、かくも美しい梅の花があることを知ったなら、きっと魂が抜けてうっとりすることだろう。
――幸いに、小声で歌うわたしの吟誦が、梅とよく似合っているから、
檀の拍子木を鳴らしたり、黄金の樽に酒を酌んだりしなくてよいのだ。
「山園小梅」は、梅を詠った中国歴代の詩歌の中で、最も人口に膾炙している詩です。
梅を妻として暮らしたという詩人らしく、実に的確に梅の趣をとらえています。
とりわけ、「疎影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏」の聯は、「千古の絶調」と称えられ、「疎影」「暗香」は、後世の詩の中で、梅の代名詞として用いられています。
「疎」(まばら)は、梅の姿が、桃李や牡丹のように密集することなく、まばらに枝が伸びているさまを言い、「暗」(ひそか)は、梅の香りが、鼻を突く濃い香りではなく、どこからともなくひっそりと漂ってくる清くほのかな香りであることを言います。
「疎影」は、梅の姿を視覚的に捉え、「暗香」は、梅の香を嗅覚的にとらえたもので、見事な対句になっています。
最終句は、梅を擬人化しています。詩人と梅とが心を通じ合わせ、相馴れ親しむ「知己」であるとし、清楚で気高い梅を愛でるには、賑やかな演奏や贅沢な酒食など必要ないと歌っています。
梅は、ひとり心静かに向かい合う花であり、飲めや歌えの騒々しい酒宴はふさわしくないというのです。
では、豪華な酒宴に似つかわしい花は何かと言えば、中国では、まず牡丹です。
艶やかな大輪の花を咲かせる牡丹は、その豊満な美しさが富貴を象徴するものとして、古来、人々に好まれている花ですが、一部の文人や隠者には、世俗的価値を象徴するものとして、あまり受けがよくありません。
詩の最終句では、牡丹のように艶美な花を対極に置きながら、梅の古朴な趣を引き立てているのです。
さて、中華人民共和国では、国花がまだ公式に定められておらず、奇しくも、この梅と牡丹が有力候補として競い合っています。
清高と不屈の精神を代表する梅、富貴と繁栄の象徴である牡丹。
清らかさを誇る梅派と、豊かさを誇る牡丹派、どちらも譲らず、苦し紛れに「一国両花」を唱えたり、国旗が五つ星だから、牡丹・梅・菊・蓮・蘭の五つをまとめて国花にしようと唱えたり、目下、迷走中です。
きちんと決めなくても大丈夫、うやむやのままでも気にしない、というわけで、鷹揚なのか、いい加減なのか、いかにも中国らしいところです。
中国の「国花論争」↓↓↓
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