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【心に響く漢詩】陶淵明「雑詩」(其一)~歳月人を待たず、遊べるうちにしっかり遊ぶべし
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雑詩 雑詩(ざっし)
東晋・陶淵明(とうえんめい)
人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風轉
此已非常身
人生(じんせい)は根蒂(こんてい)無(な)く
飄(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵(ちり)の如(ごと)し
分散(ぶんさん)し風(かぜ)を逐(お)いて転(てん)ず
此(こ)れ已(すで)に常(つね)の身(み)に非(あら)ず
落地爲兄弟
何必骨肉親
得歡當作樂
斗酒聚比鄰
地(ち)に落(お)ちて兄弟(けいてい)と為(な)る
何(なん)ぞ必(かなら)ずしも骨肉(こつにく)の親(しん)のみならん
歓(かん)を得(え)ては当(まさ)に楽(たの)しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ)もて比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年不重來
一日難再晨
及時當勉勵
歳月不待人
盛年(せいねん) 重(かさ)ねては来(き)たらず
一日(いちじつ) 再(ふたた)びは晨(あした)なり難(がた)し
時(とき)に及(およ)びて当(まさ)に勉励(べんれい)すべし
歳月(さいげつ)は人(ひと)を待(ま)たず
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田園詩人・隠逸詩人として名高い東晋の陶淵明は、人間本来の生き方とは何かを問いかける思索的な詩を多く残しています。
陶淵明の詩文集には、「雑詩」と題する十二首の連作があります。
その第一首を読んでみましょう。
人生(じんせい)は根蒂(こんてい)無(な)く
飄(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵(ちり)の如(ごと)し
分散(ぶんさん)し風(かぜ)を逐(お)いて転(てん)ず
此(こ)れ已(すで)に常(つね)の身(み)に非(あら)ず
――人の生には、木の根や果実のヘタのような拠り所が無い。
まるであてどなく舞い上がる路上の塵埃のようなものだ。
風のまにまに、あちらへこちらへと吹き散らされて、
もはや元のまま変わらぬ姿を保つことなどできやしない。
地(ち)に落(お)ちて兄弟(けいてい)と為(な)る
何(なん)ぞ必(かなら)ずしも骨肉(こつにく)の親(しん)のみならん
歓(かん)を得(え)ては当(まさ)に楽(たの)しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ)もて比隣(ひりん)を聚(あつ)む
――この世に生まれ落ちたからには、みな兄弟のようなもの。
どうして血を分けた肉親にのみこだわる必要があろうか。
うれしいことがあった時には、心ゆくまで存分に楽しみ、
酒をたっぷり用意して、近所の者を集めて飲もうではないか。
盛年(せいねん) 重(かさ)ねては来(き)たらず
一日(いちじつ) 再(ふたた)びは晨(あした)なり難(がた)し
時(とき)に及(およ)びて当(まさ)に勉励(べんれい)すべし
歳月(さいげつ)は人(ひと)を待(ま)たず
――元気でいられる若い時は、二度とはやって来ない。
一日に二度目の朝が訪れることなど無いのだ。
良き時を逃すことなく、楽しめる時に精一杯楽しもう。
歳月は人を待っていてはくれないのだから。
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末尾の二句が特に有名で、我が国でも「歳月人を待たず」という成語としてよく用いられています。
生真面目な日本人は、これを勧学の言葉、あるいは叱咤激励の言葉として解釈しがちです。「寸暇を惜しんで勉強しなさい」「一生懸命仕事に励みなさい」というように、若者に訓戒を垂れたり、怠け者の尻を叩いたりする時によく使います。
これは、この二句だけを切り取って読んだために起こった誤解であって、詩全体を読めば、陶淵明が本来意図した内容は、そんなに堅苦しいものではないことがすぐにわかります。
陶淵明は「存分に楽しもう」「大いに飲もう」と言っているのであって、「しっかり勉強しなさい」「頑張って仕事しなさい」などとは一言も言っていません。
そもそも「勉励」の「勉」は「つとめる」という意味で、「勉強する」という意味ではありません。
「勉励」する(つまり、つとめはげむ)のは、友と酒を酌み交わしたり、季節ごとの風物を愛でたり、好きな書物を読んだり、というように、日々の生活におけるすべての営為を含みます。
光陰矢の如し。この世に生きていられる時間は、待ったなしに、刻一刻と過ぎ去っていきます。
人生は短い。遊べるうちに存分に遊べ。ぼんやりとやり過ごしていては、時間がもったいないではないか、と詩人は歌っているのです。
人の世の無常に対する悲哀と諦念を抱きながら、だからこそせめて生きている間は、楽しめる時に大いに楽しもうじゃないか、というわけです。
「今」を精一杯楽しく生きよう、という中国人の現世第一主義、享楽主義的な処世観がよく表れています。
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