【荘子】「胡蝶の夢」~チョウチョにとっては迷惑な話だという話
荘子については、こちらをご参照ください。↓↓↓
荘子は、名は周、戦国時代の人。
老子の思想を継承する道家の思想家である。
荘子は「絶対的自由」を唱えた。
この「絶対的自由」の境地に至るための思想が「万物斉同」である。
荘子は、このように語る。
抽象的でわかりにくいので、荘子は、いつものように寓話を使う。
「斉物論」篇に、「胡蝶の夢」の話がある。
人間の荘周が夢を見て胡蝶になったのか、それとも胡蝶が夢を見て荘周になったのか、わからなくなってしまった、という奇抜な着想で「万物斉同」を説いている。
万物は絶え間なく変化する。すべての物は他の物へと変化し、それを永遠に繰り返す。したがって、現象面における形の上での区別は、変化によって生じた相対的な区別であって、実は本質的には同じなのだ、という論旨だ。
人間であろうと、蝶であろうと、それは現象面において、つまり形の上で、相対的に区別があるだけで、何ら絶対的、本質的な区別はない、と説く。
相対的区別を超越した世界が、すなわち「絶対的自由」の境地である。
「胡蝶の夢」は、形而上学的な「万物斉同」の思想を極めて簡潔に、象徴的に、かつ文学的に語った寓話である。
さて、荘子の時代からおよそ2000年の時を経た清朝の初め、張潮という文人が著した『幽夢影』という書物がある。
その中に、このような一節がある。
さすが江南の粋人、着眼点がユニークだ。
荘子の形而上学的な議論を、洒脱な人生美学の小品にすり替えている。
空中をヒラヒラと舞う胡蝶の姿は、逍遥自在の象徴だ。
人間はと言えば、世俗のしがらみに縛られ、なかなか自由には生きられない生き物だ。
自由気ままに舞っていた胡蝶が、ある日、突然、人間にされてしまったら、いったいどう思うか。
チョウチョ曰く、
えっ? あたし、人間になっちゃうの? イヤよ、そんなの!
塵埃まみれの窮屈な生活なんて、真っ平御免!と思うに違いない。
胡蝶にとっては迷惑な話だ。
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