清代の文人蒲松齢が著した怪異小説『聊斎志異』500篇は、妖しげな雰囲気の中で、神仙・幽鬼・妖精らが繰り広げる怪異の世界が展開されています。
その中から、美女に化けた妖怪の話「画皮」を読みます。
「画皮」の話は妖怪譚ですが、幽霊に関する民間説話のモチーフを使っています。
民間説話では、死者がもう一度人間に生まれ変わるには、身代わりが必要とされています。つまり、生きている人間が一人死なないと自分が生まれ変われないのです。これは、あの世とこの世の人数調整のようなもので、どちらの世にも定員があるという発想です。同じく『聊斎志異』の「王六郎」と題する話は、次のようなものです。
「王六郎は、呑兵衛で溺死した亡者である。川辺の橋の下で誰かが溺れ死ぬのを待っていた。ある時、女が溺れて死ぬはずだったが、なぜか女は命拾いした。実は、女が赤ん坊を抱いていたので、王六郎が可哀想に思って生まれ変わりを辞退したのであった」
「画皮」の中で、道士が妖怪を退治する前に、「あやつも随分苦労してやっと身代わりを見つけたのだ」云々と語っている場面がちょうどこのモチーフを使ったところです。
さらに、虎に関する民間説話と似通ったところも見られます。物語の舞台になっている山西省は、虎が多く生息する地域です。作中で妖怪が、「王の腹をベリッと引き裂き、心臓をむんずと掴み取る」云々という描写は、虎が人や他の動物を襲って喰う時のさまと似ています。また、唐代の『集異記』という志怪小説集には、次のような話があります。
「蒲州(山西省)の崔韜が旅先で凶宅と噂される館に泊まる。夜半、門から虎が入って来たので崔が隠れて見ていると、虎は中庭で皮を脱いで美女に変身した。その夜、崔は女と同衾した。女は貧しい猟師の家に生まれ、身を託せる伴侶を捜していたのだと言う。崔は女を気に入り、皮を枯れ井戸に捨てると、妻として伴って帰郷する。その後、崔は役人となり、妻子を連れて赴任する途次、かつての館を訪れた。妻は井戸の底に残っていた虎の皮を着ると、虎に変身し、崔と息子を喰って去って行った」
この話は、虎の皮を脱いで美人になるというもので、「画皮」が人の皮を着て美人になるのとは逆ですが、化けの皮で変身するというモチーフは共通しています。
なお、人間が動物に、動物が人間に変身するという話は、志怪の中に数多くありますが、虎はそうした変身譚の代表格です。中島敦「山月記」の原作である唐代小説「人虎伝」もそうです。
さて、『聊斎志異』の多くの作品には、末尾に「異史氏曰く」として作者自身の論評が付されています。ちょうど『史記』の「太史公曰く」のようなものです。「画皮」の「異史氏曰く」を一読すると、とてもお説教っぽい文章であることがわかります。他の作品の「異史氏曰く」も同じような口調で書かれています。これは、教訓を含んだ文学作品が優秀な文学作品である、という中国古来の認識によるものです。「画皮」の「異史氏曰く」に沿って言えば、この作品は「女色の戒め」をテーマにしたものということになりますが、作者蒲松齢が本当にそのように考えて書いたわけではなく、これはあくまで建前です。
蛇足ですが、王と女の出会いを見てみると、十代の小娘を出会ったその日に自分の家に連れ込んで、いきなり同衾しています。しかも王には妻がいるのですが、妻は王を咎めることなく嫉妬もしません。このような唐突で露骨な男女関係は『聊斎志異』では珍しくありません。と言うか、こうした調子の馴れ初めの方がむしろ普通です。これがどれだけ当時の中国社会の現実を反映しているのかわかりませんが、『聊斎志異』の中の男女の物語は、つねに男目線で描かれ、男の欲望に沿った展開になっています。
「画皮」は、中華圏ではとても有名な話です。後世、粤劇(広東オペラ)や映画として改編されています。